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グータラ散歩

10 月 5th, 2017

フラフラと(実際そうである)歩いていると、いやでも現象世界の没落を感ずる。

あの逞しい雑草でさえ、もう一回霜が降りたら枯れるだろう。

この季節は私と同じね、などということを考えながら行き先をギャビに任せる。

(いづくにか帰る日近きここちしてこの世のものの懐かしきころ)

与謝野晶子の歌である。

生がこの世とあの世両方にわたっており、現生において交わりかかっている。

この世の死がもう感知され、それまでとは違ったこの世の深みと親しみがあらわされている。

いい歌だなあ〜。

(今しばし死までの時間のあるごとくこの世にあはれ花の咲く駅)

小中英之の、私の大好きな歌である。

哲学は“死の演習”というけれど、分厚い哲学書を読むより、こんな短い文字数の中に籠められたものの中からの方が、はるかに学べる気がするのである。

あてどなく歩いていたら、向こうから真っ赤なコートを着た老婦人が、しっかりした足取りでこちらに向かってくる。

さすがに私もフラフラヨロヨロ歩いてはいられないなあ、とシャンとする。

数年前にペンションを廃業した知人だった。

83歳で一人暮らしだそうだ。

「あなた、何歳になられたの?」

と訊かれたので「70です」とボソッと答えたら、「まあ若い!ワタクシその頃は元気に飛び回っていたわあ、何だかアナタ元気ないようだけどガンバッテ!」とポンと肩をたたかれた。

この世に引き戻された感じがして、ギャビを引っ張りグイグイ歩いた。

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