動き始めた春
陽だまりに咲いたクロッカスが愛らしい。
2日間続いた暑い日のせいで、すっかり雪が溶けてしまった。
まためぐってくる春。嬉しくもあり寂しくもあり。
花粉も飛んで眼も痒い。
また、花粉が顔に付くと頬骨の辺りが痒くなり炎症を起こす。
鬱陶しいけどマスクをつけるかなあ。
これからニセアカシアの花が終わる6月はじめまで、花粉症と付き合っていかなくてはならない。
林の向こうの空も冬の青さではない。
霞んだような春の空だ。
散歩していても暑くて暑くてたまらない。
真冬の散歩はよかったなあ、と1月2月を懐かしむ。
世間も春へと始動していた。
林が伐り開かれ、どうやらここにも家が建つらしい。
切り倒された大きな木を重機が持ち上げ、それを軽々と所定の場に置くと、チェーンソーを持ったおじさんが素早く一定の長さに切っていく。
スゴイなあ、と感心しながらしばらく眺めていた。こういった無駄のない仕事ぶりは美しい。
こんなもの人力だったら一本仕上げるまでに何日かかるだろう、と重機とチェーンソーの力、それを操る人にただただ感動して見入っていた。
これぞ実学、技術、私に欠けているものだ。
やっぱり現実世界にしっかり根をおろして生きていかないとね。
何か手に職をつけておくべきだったなあ、といつものように反省する。
私は今までに、現実世界で懸命に働く人たちを通して、人間智、世間智に富んだ人情の世界の機微を見てきた。
だから夢などみないで、現実に即した生き方をしなければならないと思っている。
それでも、ロマン主義的なものを相対化できる現実主義を身に付けながら、その上でなお文学や芸術、そして哲学への関心を持ち続けていきたいとも思う。
実学をもたない私は、己に与えられたものを最大限に活用していこう。
もはや自分に与えられていないものは欲しがらないのだ。
はて、私に与えられているものは何か?頑丈な体と鈍感な神経か。