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多少の雪は嬉しい

12 月 17th, 2018

数日前の八ケ岳

山の前景にあるのは墓地である。

信州の農村ではよくある光景だ。

墓は寺に付随するものだと思っていたが、信州ではそうでもないらしい。

畠の隅だったり、ちょっと小高い所、あるいは崖を切り崩したようなところにそれはある。

きっと土葬の習慣が長く続いたせいであろう。

あれほど苦しんだ腰痛からすっかり解放された私は、この青空と雪山の美しさが私の肉体と呼応し合って清々しい。

私は何歳になっても精神の痛みについては、これを引き受けねばならぬと覚悟しているし、またできると思う。

しかし肉体の痛みを引き受けることはできないなあ。

とはいえ無精して何の治療もせず2ヶ月も痛みを放置していたけれど。

これはこれで自虐的な苦痛を楽しめたものだ。

まあその程度のものだったということだ。

きのう86歳の女友達と一日を共にした。

彼女は足は不自由だけど、シニアカーといわれている手押し車を使ってどこへでも出掛ける。

きのうも東京から塩山、そして小淵沢までと精力的に動いた。

その彼女が「あなた、不倫についてどう思う?」と訊くのである。

聞けば彼女の友人が小説を書いているのだが、その中身たるや結婚後のお互いの恋愛話のオンパレードだそうだ。

それだけお互いが不倫三昧でいたくせに、離婚することもなく87歳になった今も仲良く暮らしているそうだ。

私は返答に困り、サルトルとボーヴォワールの例を出して答えとした。

この二人は法的な結婚こそしていなかったけれど、それぞれの偶然的恋愛(浮気)も許容し合っていた。

そして必然的愛を全うした。ボーヴォワールはサルトルに最後まで付き添いその死を看取った。

いずれにせよ彼らにとって重要なのは、人生全体についての価値観の一致だった。

これが崩れない限り、あれこれの偶然の愛は瑣末なことだったのであろう。

これを聞いた私の友人は「そうねえ、私もこのトシになるとそれはとても理解できるわ。でも私は不倫体験はあったとしても決して書かないわねえ」と言った。

彼女はかつては脚本家だった。

あ〜あ、私も偶然の愛に身を焦がしたかった。

一回目とは離婚しているし、二回目は死別しているから不倫のしようもない。

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