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きょうもひとり妄想空想に耽る

1 月 15th, 2019

今朝の気温はマイナス10度。

腰痛から解放され快適な日々を過ごしている。

こういった肉体の痛みは別として、人が幸福であるか不幸であるかを感じるのは、つまるところ、本人の意識を何が支配しているかによる。

私が幸福な状態とは、働かなくてもいいボンヤリとした暇な時間が、たっぷりあるということに尽きる。

このトシになっても働かなくては食べていけないという不幸を私は背負っているが、それでも今はオフシーズン、毎日が休みである。

人は自分に合った仕事に就くことが一番幸せであろうが、誰でもそれが可能なわけではない。

イヤな仕事には就かないという、消極的な幸せの選択をするのがせいぜいであろう。

私は32歳でペンション業を始めたときは、これほど自分に不向きな仕事はないと思っていた。

ペンションの仕事とは掃除、洗濯、料理という家事を拡大したものである。

自分ひとりの身の回りのことさえ満足にできない私が、それを人様に提供する仕事をするなんて、身の程知らずもいいところであった。

おまけに接客業に必要な愛想のよさも含めたコミュニケーション能力も欠如しているときたら、お客さんに対して失礼だし、それどころかやってはいけない仕事の筆頭みたいなものである。

そんな私がどういう成り行きでこの仕事を始めるようになったのかは省くけど、40年も続けていると、もはやそれが天職であるような錯覚さえ起きてくる。

人は慣れる、変われる。

仕事としてしなければならない家事労働は苦ではなく、色々と工夫も凝らすようになり、料理を美味しいと褒められると嬉しくなり、また次にいいものを出そうという気にもなる。

初めのころの引きつったような笑顔ではなく、今は自然にお客さんに対する感謝の念とともに、シワだらけの顔から発する笑顔は真実である。

笑い皺がいっぱいあるね、といわれるがこれは私の勲章みたいなものだ。

とはいえ、この誰も訪れることのない冬枯れの建物の中で、厳しい寒さを傍らに置き、じっと独りの時間を過ごす心地よさはやっぱりオフシーズンの賜物である。

この仕事をしていてよかった。

17世紀オランダの哲学者スピノザは、独りレンズ磨きの賃収入をを得ながら思索に耽っていたという。

自分の磨いたレンズが入った望遠鏡で宇宙を眺め「神即自然」という思想を展開したのだろうか。

あの時代、キリスト教やイスラム教の人格神を否定していたスピノザの著作は、発禁また発禁の連続で、命さえ危うかったという。

汎神論的で審美的なスピノザの哲学を受入れていたアインシュタインは、スピノザ同様自然を支配している物理法則の中に統一的な調和を見出すことを目指していたという。

私の冬の楽しみは、夜、犬を寝る前のオシッコに出す時、満天の星空を眺めることである。

この清らかな星空の向こうにいつもスピノザを想う。

スピノザさん、私のいるこの場所も含めた宇宙、そんな中で生起する事物を必然と見ることが、あなたのおっしゃる「永遠の相のもとに見る」ということでしょうか。

星空を見ていると、いつも私の実時間の中を永遠がよぎる。

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