2月19日
きょうが寒さの底だと言う。
今朝の気温はマイナス11度。
道路は先日降った雪が融け、それが夕べのうちに凍り付き、歩行には非常に危険な状態だ。
それでも散歩に出るという老人と老犬。
誰も歩いていない。
ギャビは足の裏が冷たいのか、それとも氷片が肉球の間に入ったのか、ビッコをひきはじめた。
二つの用を済ませてすぐ戻り、暖かな部屋とヨメゴのおチエが淹れてくれたコーヒーを飲んで一息つく。登校前の孫は身支度に余念がない。
こうやって寒い外から戻ると、暖かい部屋と温かい飲み物、そしてあたたかい“人”がいる。
これが極楽でなくてなんであろう。
私は夫が亡くなったあと、しばらく一人暮らしをしていた。
こんな寒い山の中で一人暮らしをしている老人は、心身ともにタフなんだろうなあと思う。八ケ岳山麓にはそんな老人が結構いる。
私は一人暮らしの時、犬と冬の散歩に出る際は、まずストーブをつけ、部屋を明るくし、電気ポットにお湯がタップリあることを確認してから出た。
暗くて寒い部屋に帰ることほど、惨めなものはないからだ。
犬や猫に餌を与え、それから自分の餌をつくってテレビを見ながら食べる。
まあ食事というより、一人暮らしのご飯なんて餌みたいなもの。
テレビはつまらないというけれど、一人暮らしの老人には、これはなくてはならないものなのだ。
老夫婦の夫が、妻の話す他愛も無いおしゃべりを無言で聞き流しても、あるいは妻がよく喋る夫の政治談義を、左の耳から右の耳に無言で聞き流しても、これは大切なことだ。
会話が双方向である必要など、老夫婦にはもはやどうでもいいのだ。
人の声がするだけで双方が安心する。
そんな人の声の役目をテレビは担ってくれているのだ。
つけっぱなしのテレビから人の声がする、音楽が流れている、それだけで有機的な空間が広がっているような気がするのだ。
テレビに向かって独り言をいうことは、さすがの私もミジメで情けないと思ったから、犬や猫に話しかけては、つとめて喋るようにしていた。
世の中の老夫婦たちよ、少なくとも犬や猫より、内容はどうであれ日本語の通ずる相手がいるということを有り難いと思わなければいけないなあ。
木でも相手になるの?