6月19日
6 月 19th, 2022
小川のほとりにクリンソウがたくさん咲いていた。
もう終わりかけだけど、これが野草だなんて驚きだ。
私の生家には大きな姿見があった。
朝学校に出かける時、私たちはこれに姿を写してOKをもらった。
ある夜、泥酔して帰ってきた父がよろけてこの姿見に当たり、割ってしまった。
両親の派手な喧嘩の後、母はいくつかに割れた鏡を、懇意にしていた指物師に頼んで大小さまざまな鏡に変えた。
これは私の格好のおもちゃになった。
自分の横顔、正面などを写して、不思議な合わせ鏡を楽しんでいた。
そんな私を見ていた母がぽつりと言った。
「自分の顔なんて決して見ることはできないのよ」。
小学生だったけど、私はこのことを瞬時に理解した。
そして母を憎んだ。
どうして今そのことを私に突きつけたの!まだ知りたくなかった、残酷な親だと本気で思い悲しくなった。
それは、自分で自分のことはわからない、見えない、という哲学的、宗教的な根本問題なのだから。
そのことを大人になってから知ったとしても切ないことなのだ。
まったく私の母は“毒親”だった。
私と母はいつだって愛憎半ばするような親子関係だった。
その彼女も13年前に亡くなった。
もうとっくに母をゆるしている。
親をゆるすということは「おとな」になるということだ。
ボクはカアちゃんのことはなんでも許してあげるよ。