3月24日
福寿草とともにこの辺りの春を告げる花「プルモナリア」
ヨーロッパのバルカン半島原産である。
バルカン半島は帝国主義の諸矛盾が集中し,一触即発の状況にあったことから「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ多くの紛争をもたらした。
現在この地域は,アルバニア,ギリシャ,クロアチア,ブルガリア,ボスニア・ヘルツェゴビナ,マケドニア,セルビア,モンテネグロ,ルーマニアで形成されているそうである。
世界史で勉強したけどあまりに複雑で、今もってその紛争の原因や関係がよく理解できていない。
退化した私の脳がおぼえていることは、この青い花が、かの地にまだ雪が残る頃から咲き始め、原野一面を青紫で覆うということだけである。
平和のブルーである。
そしてまたロシア人作家パステルナークの書いた『ドクトル・ジバゴ』、これを映画化したものを私は若い時観た。
非常に印象的だったシーンは、まだ雪の残るロシアの原野に一面に咲き乱れる黄色い水仙の花だった。
ブルーとイエローから連想するもの、それはウクライナの国旗だ。
花は平和の象徴というのに、この地球上に紛争の絶えることはない。
今のところは安全な場所から覚える私の無力感と悲しみ・・・虚しい。
明治時代の宗教思想家の「綱島梁川」は「神はまず悲哀の姿して我らに来る」という。
神や仏があるならば、それはまず悲哀の姿をして我々に来るのだと。
それゆえ悲哀があるということは、それ自体がすでに神と人間とのあるやりとりの現れなのであり、悲哀というものを持つこと、それがすでに半ば「救い」なのだ、というのである。
この世界の惨状に宗教なんて役に立つのかねえ。
宗教なんてやってらんないわ!!
悲哀を持つことが神とのやりとりであり、それがすでに半ば「救い」なのだというならば、それは個人的なものに限定してちょうだい。