5月17日
5月15日は私の誕生日だった。もうトシを重ねるのはウンザリであるが仕方がない。
2年前74歳の時に書いた「リビングウィル」に“右に同じ”と書き加え、今年の年月日を入れた。
無駄な延命はいらない。
その日はケーキも花もご馳走もいらない、普段通りに過ごすつもりであった。
ところがヨメゴのおチエから花を贈られ、友人からはケーキが届けられ、古いお客さんからはバースデイカードが届いた。
171センチの孫娘が「おばあちゃんおめでとう」とハグしてくれた。
私はありがたくそれらを頂戴した。
生きているうちに忘れられなくてよかった。
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アポリネールの有名な詩に『鎮静剤』という作品がある。
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。
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人は生きてきたように死ぬという。
死は思いがけなく起こるものであってほしいと願うが、それも生き方によるのだろうか。
よく働いた日には深い眠りが得られるように、間断なく努力してきた人には安らかな死が訪れるということだろうか。
困ったなあ、そこからは完全に外れている私である。
私はいつだって目的地など定めないで生きてきた。
つまりそのひぐらし。
歩き方が目的地を作り出すようなものであった。
いつ死んでもいいようにしておこう。
お客さんの準備でてんてこまいし、やっと休む段になり「疲れた」と呟いたら、息子が「大丈夫、もうすぐ終わるよ。長い眠りが待っているからね」と言った。
はじめはカッとなったが、確かにその通りだと納得した。
死ぬまで働けってことね。
今日も寝てばかり。