東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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いい天気!

2 月 18th, 2019

私にしては珍しく、一週間毎日外出していた。

老人は少なくとも週4回は外出することが望ましいというけれど、私はイヤだなあ。

いくら死ぬまでの猶予期間の気晴らしといっても、毎日の外出は苦痛だ。

無意味な体験を漁るような外出は虚しいだけだから。

充実は外にではなく、自己自身の内に求めよということか。

家でぐうたらしているのが天国だ。

といってもこのままほんとうの天国行き、というにはチト早い。

ナニ家でぐうたらといってもやることは山のようにある。

私が外出していた間はそれをやらなかっただけのことだから。

だから今忙しい。

ここに住んでいると空を眺めることは雨の日以外毎日だ。

満天の星空を飽かず眺め、群青の空に吸い込まれそうになるのを楽しむ。

正しい空の見方は、立ったまま顔を上げて眺めるのではなく、大地に仰向けになる。

そうやって眺めていると、いつしか自我はなくなり宇宙とひとつになる。

そうだ、私が無限に触れることができるのは、空を無心に眺めるときではあるまいか。

世俗の時間を超えて(なんちゃって)

2 月 11th, 2019

雪は降らなかったけれど連日の寒さで川は凍っている。

ここはギャビも私も大好きな場所だからよく来る。

この季節、緑の気配は全くないけど春から初夏にかけての美しさは筆舌に尽くせない。

人がいないから、鳥のさえずりがよく聞こえ、木々の間を横切る鹿を時々見かける。

今ではギャビは、鹿に遭っても気にもしないで、見知らぬ隣人に対するような態度でやりすごす。

ここにいると世俗の時間が凍り付いてしまったかのようだ。

ギャビは川に入ったものかどうか思案中であったが結局入らなかった。

彼も老犬になり、分別をわきまえるようになったのだ。

経験知を積んできたということか。

犬でもそれができるというのに、私には一向にそれが身に付かない。

内科の医者にはかかったことがないのに、病院といったら外科か整形外科ばかりである。

不注意からくるケガ、あるいは向こう見ずな冒険心からくるケガばかりを重ねてきた。

友人が言っていた。「私たちは大切な老後を注意深く生きなければね」と。

ああ、でも性格は運命だからなあ。

父と娘の挟み将棋に参戦したギャビ。

ギャビは将棋盤上の駒を咥えてしまうのでニイチャンは大慌て。

「ギャビちゃん、ペッ!」といって出させる。

しばらくするとまた咥える。

どうやらギャビもゲームに参加しているつもりのようだ。

カワイイ!

柴犬母娘

2 月 10th, 2019

柴犬の母娘が来てくれました。

2頭とも穏やかで優しい柴犬でした。

やっぱり娘のこはるちゃんの方が甘えん坊。

そして人間の子供のように野菜ギライ。

犬の親子はとっても微笑ましく、見ているこちらも和みます。

さくらちゃん、こはるちゃん、雪は楽しめたかな?

さくらちゃん(母)

こはるちゃん(娘)

骨折その後

2 月 8th, 2019

骨折した箇所は痛みこそなくなったもののまだ腫れている。

何もしないつもりでいたがそうはいかない。

とうとう夕べは隣のおばさんのものも含めて、5人分の夕食も作った。

洗い物も含めヨメゴのオチエがよく手伝ってくれた。

デッサン教室にも無理を承知で参加した。

どういう仕上げになるかを知りたかったことと、じっと独りで家に閉じこもるのはよくないと思ったからだ。

もちろん健常な状態では、私は引き蘢るのが大好きだが、こういった状態では言うにいわれぬ不安に駆られ外界に出たくなる。つまり自信を喪失しているからだ。

運転はケガをした中指を立て、他の4本の指と左手5本でハンドルを握るから問題はない。

人間はほんとうに体に依存しているのだなあ、ということがよく分った。

特に「手」「眼」は大切な器官だ。

出来上がったデッサンは萎縮して力強さなどみじんもない、今の私の精神状態を反映したものだった。

右手の中指たった1本でこうなのだから、他は推して知るべしである。

今更のように、身体の一部を損傷しても、普通に日常生活を送り仕事もしている方々に対して私は敬意を表する。

この先私には老化に伴う肉体の不都合が、様々のところにあらわれてくるだろうが、何とかそれを工夫して、あるいはガマンして過ごしていこう。

きのう、この辺りに住む人々で構成されている「高齢者施設を考える会」という会議に、歩いて4分の所にある自然文化園に行って来た。

いつの間にか私は”考える会”のメンバーになっていたからだ。

グループ討議の時、歩けなくなってトイレにも行けなくなったらどうしようとか、クルマが運転できなくなったら困るから、もっと循環バスの本数を増やして欲しいとか、行政で雪かきをして欲しい、税金を納めているんだから、などと勝手なことばかりをいう老人のまあ多いこと。

それを承知でこんな山の中に住むことにしたんでしょう?原村は65歳以上は医療費がタダだから、それに釣られて住んだんでしょう?その医療費タダの財源だって、きのうきょう来て税金を払いはじめたあなた方の前に何十年も農業や商売で苦労しながら収めた税金が元になっているのだよ。

たった指1本の骨折で気弱になっていたはずの私であるが、歩けなくなったらトイレなんか這ってでも行け!それくらいの気概をもて!と言ってしまいおおかたの顰蹙をかった。

二度とこんな会に出るもんか!と憤慨しながら家に戻り、ギャビの散歩に力強く繰り出した。

やっぱり外に出ることは気持ちを鼓舞させるなあ。

カアチャンは左手でリードを持ってボクを散歩させてくれるんだよ。

だからボクも引っ張らないように協力しているんだ。

お互い様だからね。

ゴハンも作ってくれるけど、肉の他に大根と白菜ばっかりが続くのはイヤだなあ。

(大根と白菜は一度にたくさん茹でられるからね。ギャビちゃんゆるして!)

右手中指の剥離骨折

2 月 5th, 2019

新聞を郵便受けまで取りに行き、読みながら戻ろうとしたら、雪の下の氷に足をとられ滑って転んだ。

不注意だった。

とっさに右手をついて下半身を守ったが、右手の中指が小石に当たってしまった。

直ぐ良くなるだろうとタカをくくっていたが、午後になっても痛みがひかず、指を反らすと痛い。

それでもまだ病院に行くという気はなかったが、腫れてきたし息子に「整形外科に行った方がいいよ」と言われてその気になった。

レントゲン撮影の結果、剥離骨折ということだった。

指用ギプスをつけて固定して、炎症止めの湿布を貼ってもらった。

帰りに、水仕事用にと大きいゴム手袋を買ったが中指が入らない。

幸い左手は自由に動くし、水仕事や風呂はゴム手袋を“かぶせた”右手を補助にしながら、何とか過ごしている。

パソコンのキーボードは右は4本指で何とかなるが、人差し指を多用するようになった。

最近私は古代ローマ時代の哲学者で政治家「キケロ」の書いた『老境について』という本を字の大きなワイド版で読んでいる。

薄い本だからすぐ読み終えた。

その中で印象に残ったところを書き出してみる。

①「老人は、失われた若者の体力を基準にして老年の非力を嘆くのではなく、現在の自分をあるがままに肯定すること」

②「年輪によって育まれた知恵と見識を発揮することに、現在を生きることの意義を見いだしうること」

と、これがキケロが力説してやまない点である。

①についてはもっともだと分るけど②については私の場合違うなあ。

年輪によってすり減った知恵と見識はもはやどうにもならない。

今回の骨折は①もなく②もなく、ただただ“ボーッと生きていた”結果である。

反省も後悔もしないけど、これが“老い”だ!

だけど、食欲だけはあるから昼食には鶏の胸肉とサツマイモ、ブロッコリーを蒸し、「無印良品」のレトルトカレーに入れて、栄養バランスもボリュームもある一皿を作って食べた。

洗い物も、皿一枚と蒸し器だけの最小限に工夫した。

夕飯は息子たちがどうにかするだろう。

ボクの散歩はニイチャン。

でもごはんはカアチャンが作ってくれるよ。