東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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きょうも充実した一日

6 月 13th, 2018

猫も犬も撫でられるのは大好き。

テスは孫娘に撫でられウットリ。

ギャビは隣のおばさんに、首のうしろのツボマッサージをされてデレデレ〜。

この2枚の写真は一週間前のもの。

あっと言う間に日にちが過ぎてゆく。

暑かったり寒かったりする6月。

きょうはクルマもないし誰もいない。

買い物にも行けず不自由だけど、まあ夕飯のおかずは手抜きできるからいいか、と考え直した。

しかし自分のお昼ご飯はどうする?

豚肉が冷蔵庫で眠っているけど、これは今晩の家族用だしね。

しかたがないのでご飯を炊いて、きのう焦がして捨てようかと迷ったけれど、そのままにしておいた厚揚げの煮物を、焦げたところを剥がして一品とした。

味噌汁もつくったけれど、具はわかめだけ。

惨めだなあ、と思ったけれど、卵かけご飯を腹一杯食べて満足した。

そう、私は自分に与えられていないものは欲しがらないのだ。

この惨めさを払拭するためには“意識高い系”の女になるしかない。

そこでかつて挫折した『資本論』に再度挑戦してみた。

今さら資本論なんて、というなかれ、今だからこそ必要なのだ。

私には実学がないのだから、プロレタリアートとして経済から知らなければならない。

若いころよりは読めるのだけれど、それでも難しいことに変わりない。

いつの間にか私は寝っころがって、かる〜い本を読んでいた。

ああ、私は自分の理解力や想像力の及ばない世界には手を出さないことにしよう。

先は短いんだからもっと楽しいものを読もう、と思うと同時にいやいや先は短いんだから今こそ読むべき!という思いが錯綜する。

マルクスさんごめんなさい。

私はヒヨッテしまいました。(ヒヨッテなんて老人にしか分らない言葉だろうな)

6月の休日

6 月 10th, 2018

ボーダーコリー2頭です。

上がブラン君。

白いのでこの名前になったそうです。

おっとり優しい男の子です。

下の、飼い主さんを真剣なまなざしで見つめているのがメイちゃん。

パンをくれるのをじっと待っているのです。

活発で利かぬ気の女の子です。

女3人で八ヶ岳農場に花を買いに行ってきました。

ここのアイスクリームとアップルサイダーも買いました。

農場の花は丈夫で長もちします。

夏の花ガザニアとクリーム色のマリーゴールド。

色々買ってきました。

鉢植えにして玄関先に置こうと思います。

庭にも真っ先に咲くバラ「ロサ・ガリカ」が咲きました。

シベリアアヤメとの渋い嬌艶です。

いい香りが辺り一面漂っています。

雨のサンショウバラ忌

6 月 6th, 2018

雨の中、サンショウバラが咲き始めた。

このバラが散りはじめた2013年の6月12日に、猫のバルが死んでしまった。

あれからもう5年も経つ。

野良猫だったバルは、ここへ勝手に棲み着いたときから白血病を患っていた。

獣医師はあと2年くらいしかもたないと言ったが、その予測を6年越えてバルは8年間ウチにいた。

凶暴な猫だったのでゲバルトから名をとって、バルと呼んでいた。

しかし晩年はすっかり穏やかになり、いつも私と一緒にいたがった。

あの日、バルにはおよそ似つかわしくないピンクのサンショウバラがハラハラと散る庭で、彼は私の腕の中で静かに逝った。

今年もサンショウバラ忌かい?

バアさんが思い出してくれたら、オイラいつだってあの世からやってくるぜ。

オイラ本当に死んでしまったんだなあ。

いつだったかバアさんに「オイラはどこから来てどこにいくんだろう?」て哲学的な問を発したことがあったよなあ。

そうしたらバアさんは「アンタは捨てられた猫だけど、純血種だからブリーダーのところから来て、いずれこの家の庭の隅へ行くのよ」なんてトンチンカンなことを言ったよなあ。

そこでオイラが「ヒドイじゃないか!オイラ庭の隅っこに埋められて、石ころひとつ置かれてそれっきりかい!その上に犬たちがションベンかけたりするんだろう!」

なんて怒ったけどほんとうにそうなっちまった。

だけどバアさんは言ってくれたよなあ。

「でもねえ、バルちゃんは私の中で今以上にずーっと生きるのよ。これが私の表象能力のスゴさってもんよ」と。

そこでオイラ再度訊ねたよ。「バアさんが死んだらどうなるんだい?」

私が死んだあとは息子たちがそれを引き継ぐよ。

バルちゃんがいつも“クソガキ”って呼んでいる私の孫くらいまでかな?

あとは、みんな死んでオシマイ。

サンショウバラが咲く頃、あるいは私がバルを思い出すだけで、彼は私の前頭葉にあらわれる。

雨の日は色々なことが思い出される。

毒の花

6 月 4th, 2018

キングサリ(金鎖)の花が咲いた。

フジの花に良く似ているけれど蔓性ではないので扱いが楽だ。

しかもアルカロイド系の毒が木全体にあるから虫もつかない。

だからほったらかしで良いのだ。

トシを取るとこのキングサリとかトリカブト、ジギタリス、ヒガンバナ、チョウセンアサガオなど毒のある花に惹かれる。

思うにこれは一種の「自暴自棄」なのではないだろうか。

あとは野となれ山となれ、と言った風な。

更に言えば、あとは死ぬだけよ、ということ。

他人が自分に何を求めていようと、この世の規範がどうなっていようと、時にはそれを平然と無視できる力を、これらの毒の花を通して私は身につけたいと思うのである。

これこそが老人力でありよく生きるコツなのだ。

それは私の生をいとおしむことでもある。

危険か?

みんなで山歩き

6 月 3rd, 2018

良く晴れた休日に、家族4人と隣のおばさんとで山歩きをした。

写真は息子の連れ合いが撮ってくれた。

自分の後ろ姿など見ることがないので、喘ぎながら登っているのがよく見えて面白い。

自己を客体化して見るときは、無防備な後ろ姿こそがいいのかもしれないと思った。

ここは私たちが住んでいるところより標高が高いので、新緑真っ盛りである。

クリンソウが咲き始めていた。

かろうじてここは大量の盗掘盗採を免れているが、それでも減ってきた。

あと2週間もしたら大群落が見られそうだけど、また行く元気はないだろうなあ。

深山草いちごが咲く草地でお昼ご飯にした。

孫娘は最初この場所で食べることを渋った。

理由は、いずれここでまたこの草いちごの実を食べるつもりだったので、花が踏み荒らされるのを嫌がったのだ。

つまり収穫量が減るのを気にしてのことだった。

以前食べて美味しかったことを、ちゃんとおぼえていたのだ。

山娘になったなあ。

ギャビのごはんは真っ先に用意した。

ここはギャビにとっては慣れた場所なので、それほど楽しそうには見えなかったけれど、お弁当の時間だけは嬉しそうだった。

帰り道になると、ギャビは帰りたくないことを全身で表す。

私たちが歩き出しても、辺りをウロウロしながら時間稼ぎを図る。

ギャビの大好きな隣のおばさんが先に行ってしまっても、その場にとどまるギャビ。

仕方がないので私が戻って説得すると、ようやく歩き出した。

彼は諦めはいい方で、かつ明るい性格なので、その点では苦労しない。

隣のおばさんが立ち止まって見上げる先は、エゾノコリンゴの花。

この辺にはまだまだ木に咲く花が残っている。

孫娘に太くて瑞々しいイタドリの茎を食べさせると、「酸っぱい!でもジワジワと旨さが伝わってくる。登りながら喉が渇いたらこれを食べるといいね」と的確な判断をした。

山ガールになってきた。