東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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5月15日

5 月 15th, 2021

新緑が目に染みる。

ここは一年で一番美しい時である。

それが続くのも今月いっぱい。

こんないい時に今日は私の74歳の誕生日である。

昨日遺言を書き終えたので今日は家族と隣のおばさんに発表である。

通帳の場所とかカードの暗証番号などのほか、私の死に際して延命治療はしないことなどを記した。

具体的には医療関係者の皆様へとして。

私は充分自分のしたいように生きてきて幸せでした。

ですから延命治療はしないで下さい。思い残すことはありません。

人工呼吸器、点滴、チューブ栄養、胃瘻、輸血、昇圧薬、人工透析なども含め延命のための治療を何もしないでください。

ただ私が苦痛を感じているなら、モルヒネなどの痛みを和らげるケアはありがたくお受けしますし是非そうして下さい。

それによって死期が早まったとしても望むところです。

私はこれを冷静な意思のもとに書き、家族の了解を得ています。(息子夫婦と荒川明美)

誰にも後悔はさせません。

私の強い意志です。

というものである。

毎年私の誕生日には、これを読んで家族と確認しあっていくのである。

それにしても外界は美しい。

しっかり眼にも心にもとどめておこう。

5月10日

5 月 10th, 2021

またまた本が送られてきた!

今度は高校時代の男友達からだった。

私には読まなければならない本が山のようにあるというのに!

中村紘子著『チャイコフスキー・コンサート』

中村さんの音楽はともかく、美人だからという理由で彼は中村紘子さんが大好きだ。

早速この本の中からとても興味のある「ハイ・フィンガーと日本のピアニズム」という章を読んだ。

中村さんは日本のピアノの家元とでも言えるような、井口基成・秋子夫妻の優秀な門下生だっという。

井口の指導する奏法は指を高く掲げて打ち下ろす、まるでタイプライターを打つような、現代のピアノに適さない古いやり方で、昔の日本はそれが本流だったそうだ。

後年ジュリアード音楽院に入学した中村さんが、まず初めに教授から言われたことは、「その指を丸めて真上から金テコで叩くような奏法は全て忘れること」だったそうである。

欧米のピアノ演奏法は鍵盤を叩くのではなく重力奏法方なのである。

他の学生のように、指を伸ばして柔らかく音楽的に弾くやり方を教わってこなかった彼女は途方に暮れ、ハドソン川に身を投げたくなったほどだった、ということを私のピアノの先生から聞いたことがある。

まあ、中村さんのあの力強さは、子供時代に受けた奏法が完全に抜けていないことを示しているのかもしれない。

一度身に付いてしまったものを変えるのは至難の技である。

それでも中村さんはよく克服したものだと感心する。

中村さんの姿は西洋絵画における「剛毅」の擬人像(女性)みたいだなあ、なんて思ったことがある。

ソプラノ歌手の佐藤しのぶさん、ピアニストの中村紘子さん、どちらも華のある音楽家だった。

惜しい二人だった。

カエデの新緑と春リンドウ

5月9日

5 月 9th, 2021

新緑の美しい季節になった

待ちに待っていた5月けどちょっと寂しい。

一月くらい前、「禅」の信奉者である友人から一冊の本を押し付けられた。

電車の時間が迫っていたので題名も見ずにカバンに入れて駅へと急いだ。

題名は『聖テレーズ自叙伝』

なんで禅宗女子の彼女がキリスト教本なんぞを?宗旨替えでもしたのかなあ、私には読まなきゃならない本が山のようにあるのに困ったなあ。

と迷惑に思ったが、今の私はただ馬齢を重ねたのではない。

相手の気持ちを察して、それに一旦は合わすという上質な心情を“長い年月をかけて”獲得してきた。

トシを取ることはいいものだと、負け惜しみでもなんでもなく言っておこう。

電車の中でまず目次に眼を通して1時間読み、帰ってから寝るまで読んだ。

わずか2歳で修道女になることを決心し、16歳で念願のカルメル会に入会、そして24歳で永眠したテレーズの自叙伝である。

たった24年というなかれ、その揺るぎない信仰によって永遠の命に与ったテレーズ。

この科学の世紀でも、無垢な信仰とわけ隔てのない愛を語るテレーズの言葉は、クリスチャンではない私にも、まさに慈雨のように深く全身に染みわたった。

良い事をしたら、それは自分の中にいる神様がしてくださった事で、神様の望むように自分を使ってほしいとか、小さな事でも愛をこめてすることが大切、といった記述に触れては我が身を反省した。

エンゲルスがカントの神の証明は、いることもいないことも証明できないと言った「不可知論」を、弱気な唯物論と喝破したことに痛く感動した私であった。

そんな私でも内なる神がまるで存在するかのように対話してしまうのである。

神とは人間の観念が作り出したものであると唯物論者は言うし、私もまたそれを大筋で認める。

しかし、たとえそうであったとしても、それが人に必要であれば、また切実に求めるものであるとするならば存在するしないはどうでもいいことのように思える。

マザーテレサやシュバイツアーのように人が野心からではなく、情熱を持って何か偉大なことを成し遂げるためには、神の助けなくしては無理だと思うからである。

カントが神の要請をしたように。

本の中のテレーズの短く長い生涯はまるで1本の白百合のようだった。

テレーズは天国から薔薇の雨を降らせてくれるそうだが、私には清らかな白百合の方が彼女にはあっていると思う。

はじめは読むのが苦痛だった。

でもどうしても止めることができず、最後までテレーズに導かれるように読み通してしまった。

この本を私に押し付けた禅宗女子の友人に「どいう意図のもとにこの本を渡したのか」ということをメールではなく直接聞いてみようと思う。

5月6日

5 月 6th, 2021

今年の連休は寒かった。

時々みぞれが降ったりして朝の気温がマイナス3度の日もあった。

エゾヤマザクラの花は咲かず、葉ばかりで寂しい春だった。

ポーちゃん。15歳になりました。

もうそんなに経つんだねえ。

オニイチャンの後を着いてきた仔犬。

ちょうどオニイチャンの誕生日だったので飼うことにしたそうである。

若々しく元気でキレイなポーちゃん。

長生きしてね。

飼い主さんとそっくりな愉快なポンちゃん。

元気な1歳のバーニーズ。

新緑の季節は喜びでいっぱいのはずなのに、今年の5月はなんだか憂鬱だ。

もちろんコロナ禍ということもあるけれど。

光の部分が多くなるとそれだけ闇の部分も多くなるということか。

熊のように冬ごもりをしていたいなあ。

ギャビが転がっている。

いつも一緒にいるので似てくるらしい。

5月1日

5 月 1st, 2021

今日から5月。

♫ 嬉しや5月 草木はもえ 小川の岸にすみれにおう♩

ドイツリートであり、このあたりの風景にピッタリの歌である。

原村にもようやく春がやってきた。

と言っても外は雨が降ったり止んだり。

晴れ間を見つけてフラフラとサンダルを履いて外に出て、春を知らせてくれる花の写真を撮る。

ただ写真に収めるだけでなく、よく観察すると面白い。

ついでに名前も知ると良い。

ユキヤナギとヤマツツジ。手入れの良い隣のモモちゃん家の花。

命名することは支配すること、名前を知ることはそれを自分のものにすることだなあ。

たとえ隣の家の花でも。

名前や性質をを知ることで、その花がいっそう親密になるというもの。

隣のおばさんの家の花も見に行こう!

ボクは遠慮するよ。