6月26日
この炎天下、私は昨日から2回目の草刈りをしている。
夏の苦行である。
コンクリートかアスファルトで固めてしまいたいくらいである。
カヤツリグサ、スズメノカタビラ、ギシギシの3種が我が家の最強の雑草である。
最初はこれらの草の名前なんて知らなかったけれど、根絶させようと色々調べているうちに名前をおぼえた。
スコップで掘り返し、根こそぎ退治したと思ってもまた翌年には生えてくる。
どうやら除草剤を併用しないと無理らしいということが判明した。
その時点で私は諦めた。
表面だけ刈り取って、あとは雑草に好きにしてもらおうという気持ちになったのだ。
それから草刈りはだいぶ楽になった。
なんでも共存共栄が楽だし平和だ。
相手を根絶やしにしようなんて思ったら、決してうまくいかない。
自分が受けるダメージだって相当なものなのに。
草も繁茂するけど、花もいたるところに咲いていて疲れた体を慰めてくれる。
白い花はオルレア、レースフラワーとも呼ばれている。
繁殖力強し。
大好きな薔薇ウーメロが咲いた。
素晴らしい香りだ。
つまらないなあ。
6月25日
きのうは「ギャビちゃんデイ」と称して一年振りに三峰川に連れて行った。
隣のおばさんが「空と雲が近くにある」と言っていたけれど、言われてみればそうだなあと今更のように気がついた。
川風が気持ちよく渡り、南アルプスから流れ出る水はあくまで清浄で冷たい。
ここは速さに差がある流れが3本あるから、一番緩やかなところでギャビを遊ばせる。
主流はかなり急だからギャビは決して近づかない。
ギャビは石の上をゆっくりゆっくり歩いて、流れにたどり着いて行く。
去年に比べかなり衰えているギャビを見ていると、切なさが込み上げてくる。
それでも一生懸命、私が投げてやる木切を咥えに行く姿がいじらしい。
珍しく私がギャビの動画を撮ったが、来年も同じことができるだろうか。
ギャビの老いと私の老いが重なって、深い意味で空と雲が近くなったような気がした。
でも澄みずみとした気持ちで、空と雲の向こうをみることができる。
悲哀は美しい。
さんざん遊んで疲れているギャビなのに、どうしても帰りたがらない。
そこでまたしても魔法のコトバ「アイスを食べよう!」と誘ったら、やっとギャビは重い腰をあげた。
三峰川の帰りは「南アルプス道の駅」に必ず寄る。
ここでいつも「すずらん牧場」の牛乳を使った素朴なソフトクリームを食べるのだが、一年経ったらジェラートに変わっていた。
でも面白いというかそれまでのファンのために「裏メニューとしてちゃんとソフトクリームもありますよ」ということだった。
見れば地元の人と思しきおじいちゃんが、ベンチに座って従来のソフトクリームを食べていた。
この写真のジェラートはアスパラベーコンとレモンでおチエ選択。
このあたりはアスパラの生産地だから安い。
たくさん買って帰り夕食時、天ぷらにした。
大皿二つがあっという間に空になった。
6月19日
小川のほとりにクリンソウがたくさん咲いていた。
もう終わりかけだけど、これが野草だなんて驚きだ。
私の生家には大きな姿見があった。
朝学校に出かける時、私たちはこれに姿を写してOKをもらった。
ある夜、泥酔して帰ってきた父がよろけてこの姿見に当たり、割ってしまった。
両親の派手な喧嘩の後、母はいくつかに割れた鏡を、懇意にしていた指物師に頼んで大小さまざまな鏡に変えた。
これは私の格好のおもちゃになった。
自分の横顔、正面などを写して、不思議な合わせ鏡を楽しんでいた。
そんな私を見ていた母がぽつりと言った。
「自分の顔なんて決して見ることはできないのよ」。
小学生だったけど、私はこのことを瞬時に理解した。
そして母を憎んだ。
どうして今そのことを私に突きつけたの!まだ知りたくなかった、残酷な親だと本気で思い悲しくなった。
それは、自分で自分のことはわからない、見えない、という哲学的、宗教的な根本問題なのだから。
そのことを大人になってから知ったとしても切ないことなのだ。
まったく私の母は“毒親”だった。
私と母はいつだって愛憎半ばするような親子関係だった。
その彼女も13年前に亡くなった。
もうとっくに母をゆるしている。
親をゆるすということは「おとな」になるということだ。
ボクはカアちゃんのことはなんでも許してあげるよ。
6月15日
6月も半ばだというのに肌寒い。
コタツに入って所在なく過ごしている。
緑の葉が幾重にも重なり合う暗い部分を眺めていたら、ふとこの冬の寒さを思い出した。
あの寒さの中で私は、このような春や夏が来ることを信じられたであろうか。
もちろん冬の後には春が来ることを私はちゃんと知っていた。
しかし私にはそのことが信じられなかった。
「知」と「信」は同一の軌にはない。
滑って転んだ時、激烈な痛みの中、見渡す限りの雪と氷の世界にうずくまりながら、私は永遠に冬は終わらないと感じた。
あと1ヶ月半もしたら春が来るなんて信じられなかった。
でもこのままでは絶望しかない。
盲目的な信は愚にもつながる。
しかし冬の後には春が来るという自明の理を信じることにしよう、という思いにやっと至りなんとか家に辿り着いた。
今こうして美しい6月を享受しているが、火の気が欲しくなるとあの日のことを思い出す。
まだ腰は完全に治っていないが私はそれでもいいと思っている。
痛みが出るたびに、降りしきる雪の中でうずくまって、色々真剣に考えた2月10日のことを忘れないようにしようと思う。