東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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大糸線電車の1日旅(2)

9 月 15th, 2021

南小谷に着いた。

駅の横を、まるで翡翠のような色をした急流「姫川」を眺めながら、その先の糸魚川、日本海へと思いを馳せる。

村内をぶらぶらしていると小谷村資料館に出た。

入り口で3館共通の入場券500円を払うと、今時珍しい日本手ぬぐいまでくれた。

ここで展示品や説明書きをじっくり読んでいたら、面白いものに出会った。

白っぽい布でできている手縫いの背広だ。

説明書きを読んでいくと、それは圧倒されるような力強い庶民の物語であった。

深い雪に閉ざされる山間の小谷村は貧しく、電気が引かれたのもラジオが聞けるようになったのも、大正の終わりから昭和の初期ということだった。

村内のある若者がめでたく婿入り先が決まったものの、婚家に着ていく晴れ着がない。

そこで母親は自分で手作りすることを決心する。

まず何人もいる息子たちに、イラクサを大量に採ってくるよう命ずる。

何回も何回も自生地に通って、背負子に山のように乗せて運ぶのである。

それを母親がイラクサのトゲだらけの皮を剥き、叩いて繊維を取り出して煮出し、さらに糸にしてイラクサの布を織る。

やっと服に仕立てることができ、無事婿入りを果たすという話であった。

この写真はその服を復元したもの。

これを読んで私は幼き日に読んだ、アンデルセンの童話『野の白鳥』を思い出した。

魔女である継母によって、国を追われ白鳥に変えられてしまった11人の兄達の魔法を解くため、妹のエリサはイラクサの棘で血だらけになりながら、経帷子を11枚編むのである。

その間一言も口をきいてはならないのだ。言葉を発したが最後兄たちは死んでしまうのだから。

逃れてきたよその国の洞窟で、必死になってカタビラを編むエリサを、その国の王が見初め連れて帰る。

しかし魔女だという罪を着せられてしまう。火あぶりの刑に処される直前まで一心にカタビラを編むエリサ…。

最後の11枚目を編んでいる途中、刑吏がエリサの腕を掴んで引き立てる。

その時11羽の白鳥が舞い降りエルサを取り囲む。エリサがカタビラを兄たちに投げかけるとたちまち白鳥は美しい王子の姿になる。

でも最後の一枚はまだ袖が出来上がっていなかったので、一番下の兄の腕は白鳥の羽のままだった。

幼い私は感動のあまり泣いてしまった。

「ワタシもニイちゃんたちに何かあったら、エルサのようにきっと助けてあげるんだ」と本気で思ったものである。

その後の私は助けてあげるどころか、兄たちには助けられてばかりいたが。

さてアンデルセンのエルサも、イラクサで息子の服を作った母親も、愛と自己犠牲の尊さ美しさを示してくれた。

資料館は展示されているものを“見る”だけではなく、解説を読んでこそ、その面白さもわかるというものである。

あっという間に時間が過ぎてしまい、急いで駅に向かった。

帰りの松本行きの電車の中ではひたすら読書をし、松本から「すずらんの里」までの約1時間も本を読んで居眠りもしなかった。

この本のおかげで私は長い惰眠から覚めたような気がした。

ワンデイパス最高!

家にいると雑用に追われたり、色々誘惑があったりしてなかなか集中して本を読むことができない。

次はすずらんの里→松本→長野から豊野、飯山、越後川口までの旅をする。

昨日のブログを読んだヨメゴのおチエが「ケイコサンずる〜い!」と言ったので、この次は車両は別々、昼食は一緒、と言うスタイルでおチエも連れて行くか。

大糸線電車の1日旅(1)9月13日

9 月 14th, 2021

きのうはかねてからの計画、大糸線電車の旅をやっと実行した。

長野県内ならどこで乗って降りても自由という、2680円のワンデイパスという切符を用意しておいた。

電車を書斎に見立てての読書の旅であるから、本は慎重に選ばなくてはならない。

いつもだったら文学、美術、音楽といった類の本を持って夢の王国に逃避するのだが、近頃の私はそれを反省し、もっと社会の諸問題と向き合わなくてはならないと考え始めている。

私に一番欠けている分野だ。

私には長い未来があるわけでもなく、今更学校の勉強をしなくてもいいのだから、自分の好きな本を読めばいいと思っていた。

しかし今回ばかりは内なる自分の欲求が、好きな分野でないところに向かった。

というわけで選んだのがこの本。

この本の著者は我々の仲間ではあるけれど、みんなの師匠的存在で、非常に優秀で尊敬できる人だ。

最寄りの駅「すずらんの里」を8時40発の電車に乗って、松本までの1時間はひたすらこの本を読む。

はじめに、日本国憲法=ブルジョア社会の基本原理、改憲派と護憲派、と刺激的な内容である。

ぐいぐいと引き込まれて読んでいく。松本までの1時間があっという間に経つ。

松本で20分の待ち時間を経て、9時55分発の大糸線で信濃大町止まりの電車に乗る。

この間も読書しながら時折田園風景を眺める。稲も黄色くなっていて来月の収穫を待つばかりだ。確かな庶民の暮らしが想像できる。

信濃大町が近づいて、ふと窓外を見ると北アルプスの気高い姿が眼に飛び込んできた。

ああ、晴れた日を選んだ甲斐があった、と眺めているうちに信濃大町に着く。11時だ。

南小谷行きは12時22分だから1時間ちょっと時間がある。

大町の商店街はシャッター通りと化していた、

それでも路地に入ると小さな店がひしめいていて、案外活気がある。

昼食を済まそうとネパール料理の店に入り、ネパール人がやっているカレーを食べた。

これが本当に美味しくて驚いた。

食後の自家製ヨーグルトとチャイも絶妙な甘さで感心した。

とても美味しかった旨を伝えると、50代ぐらいの女性料理人がはにかみながら「アリガト」と言ってくれた。

その人の子供と思しき給仕の若い女性が「オカアサン料理上手ヨ。マタ来テネ」と愛想よく送り出してくれた。

彼女ら親子にはどんな背景があるのだろうと想像したが、それは考えても詮ないことと、駅に急いだ。

途中こんな看板を見てビックリした。

どうやら居酒屋のようだ。

まだ忌野清志郎の熱烈なファンはいるんだなあ、と思わず写真を撮った。

私も彼のライブには2回行って、若者と一緒に絶叫しながらノッたことがある。

私はいつもクラシック音楽の演奏会に行くばかりではないのだ。

大町から南小谷までの約1時間は、その車窓から見る景色の美しさゆえ、本を閉じた。

木崎湖、中綱湖、青木湖と美しい湖が次々に現れる。

その向こうには白馬岳、北アルプスを存分に堪能した。

終点の南小谷には13時19分着。

帰りの松本行きは15時1分だから、2時間弱の時間がある。

ここからは栂池自然園行きのバスが出ていた。

長くなるので続きはまたあした。

9月11日

9 月 11th, 2021

先日、「自然文化園にエンビセンノウが咲いているよ」、と滅多に外に出ない息子が息も絶え絶えに帰ってきて報告してくれた。

エンビセンノウのことなどよく知っていたもんだ、とちょっとビックリした。

親が植物好きだと子供も自然とそうなるらしい。

そこで隣のおばさんと、ギャビの散歩を兼ねて見にいくことにした。

エンビセンノウはその花の美しさ、華やかさから盗掘され続け、ずいぶん数を減らした。

今は環境省の絶滅危惧種に指定されている。

44年前、ここで初めてこの花に出会った時、野生の花とは思えない美しさに息を飲んだ。

どんどん少なくなっていく中で、文化園の職員も危機を感じ、残ったわずかなエンビセンノウから種を採取し、苗を育て元の場所に還すという地道な作業を続け、やっと何とか見られるようになったのである。

寒冷地の湿地でしか育たないのに、盗掘する人間の浅ましさを私は本当に憎む。

盗掘する人間は商売するにせよ、自分の家に確保したいにせよ、全て醜い欲望から発しているのだ。

フジバカマ

これも絶滅危惧種II類に指定されている。

自然文化園の中でも数は少ない。

この自然文化園の中には、秋の七草はキキョウを除いて全部ある。

萩、尾花、葛、撫子、藤袴、女郎花。それらを探しながらの散歩はとても楽しい。

自生の桔梗はいつの間にか消えた。

これらの花がいつまでも残りますように。

フジバカマによく似たヒヨドリバナ、ヒヨドリソウともいう。

アザミによく似たタムラソウ。

アザミには棘があるけれど、タムラソウにはない。

細く長い茎をして、穏やかな風に揺れる薄紫の花を見ていると、いつも“言葉に棘があるね”と言われている私でも、やさしい気持になってくる。

9月9日

9 月 9th, 2021

今朝は激しい雨だった。

その雨をものともせずに、ギャビのトイレ散歩に出た。

道路を濁流のように流れる雨水を見ていたら、これでは土砂崩れも起きるわなあ、と地球の表面の脆弱さを思った。

30代のはじめから山にこもって40年あまり。

初めはいずれ東京に戻る、と決心したものだ。

そのころの私は物欲にまみれ、消費大好きな愚かな女で、できることならデパートひとつ丸ごと買ってしまいたいくらいだった。

それがガラリと変わってしまったのは、34歳の10月の半ば、東京に遊びに行って富士見駅からの帰り、何を思ったのかいつもは通らない山側の道を遠回りした。

家が近づくにつれ道の両側の、息を飲むような紅葉の美しさに胸を突かれた。

それまでの東京での楽しかった消費行動が心底バカばかしいものに思え、色褪せていった。

本当の私は山梨生まれの田舎の子、甲州の山猿みたいなものだった、と一瞬で本来の自分に戻ってしまった。

保育園を経営していた友人が言っていたっけ。

「人間の根幹は5歳までに決まる」と。

そうだ私は山川草木と一緒に育ってきたんだ、それが私の「育ち」だったんだ、と今更のように感じる。

あれからの私は、村にも山にもすっかり同化したような暮らしを送っている。

犬と一緒に森の中にいて言葉を発しないでいると、自分は自然の一形象として生きていることを感ずる。

それが心地よくもあり、恐怖でもある。

自然は決して心地よい面だけではない。

恐ろしい破壊力と、ちょっと手を抜くと人の手に負えない凶暴な側面を持っている。

私は都市の魅力を決して忘れたわけではない。

都市の魅力はやっかいな自然を否定した人口の領域である。

それだけに便利で、人が逃れられない強い力を持っている。

そのことをよく頭に入れておく必要がある。

といっても私はここに住み続ける他はないのだが。

原村で栽培されているトルコ桔梗。

50年前の、濃い紫の一重の花とは似ても似つかぬ姿に改良されてきた。

この華やかさで多くの人を魅了する。

これは栽培農家のおじさんが、規格外の花を気前よくくれたもの。

産地といえども買うと高い。

今の私は野の花か、自前の庭のコスモスあたりを飾るほどに消費行動とは縁がない。

9月8日

9 月 8th, 2021

久しぶりに晴れた昨日、4人でギャビを遊ばせようということになった。

どこか低山でも登ろうかと思ったのだが、何ヶ月も部屋にこもって仕事をしていた息子が「とても無理」と情けない声で訴える。

そういえばヨメさんと一緒に公園を一回りしてきただけで、足萎えの彼は蒼白な顔をしていたっけ。

しっかり日に当てて歩かせないと、裏なりのカボチャみたいになるので、三峰川ならよかろうと彼も一緒に連れて行くことにした。

コロナ自粛の明けた隣のおばさんにリードを持たれて、河原までの道をゴキゲンで歩くギャビ。

連日の雨で三峰川は一変していた。

山の川は雨が降るたにびその様相を大きく変える。

前回は本流に対して浅い流れがいく筋かあり、そこで安心してギャビを遊ばせられた。

しかし今回は連日の大雨で流れは1本になってしまい、いつもは澄んでいる水も白く濁り、ゴーゴーと音をたてて流れていた。

そんな川を見てギャビは近づきもしない。

それより私が久しぶりに気合を入れて作った弁当に、すっかり心を奪われていた。

4人に少しずつもらって満足していたので、次の目標地、「南アルプス道の駅」に行くことにした。

いつもここでアイスクリームを食べ、野菜や山菜おこわを買って帰る。

ここはアスパラガスの太いのが一把150円とどこより安い。

これを天ぷらにすると非常に美味しい。

力仕事など全くしたことがない、女の手のような息子から、アイスクリームをもらうギャビ。

夕方、天敵の犬が通ると、ギャビはいつもとは違うドスの効いた声で脅していた。

彼はどこかに連れて行って自由に遊ばせると、すっかり元気になって若返る。

私?疲れた、疲れた。老けた、老けた。