東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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春の大雪

3 月 27th, 2017

春の大雪である。

すぐ溶けるだろうから、私は余裕シャクシャクである。

ギャビが見上げているのは、木の上のアカゲラ。

キツツキ科の鳥で、頭頂部と尻尾の付け根が赤い美しい鳥だ。

普通は木に穴をあけて巣を作るが、この辺のアカゲラは留守宅の別荘に穴を空け営巣する。

だから嫌われものだ。

そのせいか、つつかれないようにと、網を張り巡らせている別荘をしばしば見る。

ほ乳類も鳥類も私たちが考える以上に賢いらしい。

出勤前のおチエがクルマを出すべく雪かきに精出している。

心の中で「おきばりやす」と声をかけたが、今では大阪でもそんなことは言わないらしい。

『石の花』

3 月 25th, 2017

とにかくモノを整理しようと、色々片付けていたらタンスの奥からこの孔雀石のペンダントが出てきた。

この石は昔ボーイフレンドが、アメリカでヒッピーからタバコ二箱で交換してきたものだ。

もらったとき私は小躍りして喜んだ。

それを私が時計屋でペンダントに加工してもらったのである。

私は孔雀石が好きではあるが、石そのものが大好きというわけではない。

なぜそれに惹かれるかというとロシア文学の『石の花』に魅了されているからである。

物語のだいたいのあらすじはこうだ。

ロシアの石工の青年は、領主から孔雀石でチョウセンアサガオを模した鉢を作るよう命令される。

みなし子だった彼は、名工だったお爺さんに育てられ、技を受け継ぎながら今やその師匠のお爺さんを凌駕するほどの腕前である。

そんな彼は、みんなが絶賛する出来上がったばかりの作品に満足しない。

やがて、村の長老から鉱山にいる女王の元で年に一度だけ咲く「石の花」を見ると真の美が分り、素晴らしい作品を作ることができると、教えられる。

ただし、それを見たが最後一生女王の元にいなければならないという。

青年石工は婚約者や村人たちの制止を振り切り鉱山に行ってしまう。

ーーーーーーーーーーーー

そのまま帰って来なかったというバージョンと、婚約者の娘が青年を連れ帰って結婚し子供もできたが、石工は憂鬱症にかかり高い岩の上で死んでしまい、その手には緑色の石が握られていた。というバージョンのほかあと2・3の話がある。(民話を元にしたものだから当然ではあるが)

この『石の花』のテーマは芸術世界と俗世間との乖離、相克を描き、美の本質の恐ろしさを語っている。

人間の娘(生のぬくもりのある情愛の世界)と鉱山の女王(無機的な石の至高の美の世界)との相克という深淵な物語が民話調で語られるのである。

鉱山の女王とは恐ろしい真美の無機的な体現者であり、「石の花」とは美の追求者が求めてやまない「真美」のシンボルなのである。

そのような美は人間的な情愛を拒絶する。

美の虜になってしまった石工の物語は、女の愛が男を取り戻し結婚してオワリ、のハッピーエンド的子供向け話ではなかった。

私は子供心に「美」の恐ろしさを垣間みて、すっかり『石の花』という物語の虜になってしまった。

鉱山の女王のシンボルとしてある孔雀石には「危険な愛」という花言葉ならぬ石言葉があるという。

しかしその意味するところは世俗的な“愛”のことではない。

美の世界を愛し求める行為は危険とまさに表裏のものである、ということだ。

プロティヌスだか誰だかが言っていた「美とは恐ろしいもののはじまりである」ということと符合する。

今や宝石などのアクセサリーには全く興味をなくした私は、もっぱら有機的な犬や猫を相手とした情愛の世界に生きている。

テスは猫模様のブランケットに包まれ幸せそうな寝姿である。

ギャビと孫はまだ枯れ草ばかりで、土の香りのする日向でやっぱり幸せそうである。

それを眺める私は仏さまにでもなったような気分である。(言い過ぎか)

雪のあした

3 月 22nd, 2017

降っては溶ける春の雪でも、夕べの冷え込みで積もるほどの量になっていた。

雪のあしたの情景は、いつ見ても心奪われる。

時間とともに消失する美だからこそ、しっかり瞼に焼き付けよう。

庭に出してやったギャビは転げまわって喜んだが、お座りをさせたらこの不機嫌顔。

ムッとしていることがアリアリ。

ギャビ、今朝の初シッコ。

彼はまだ足を上げてオシッコができる。

厳冬期の雪も春の淡雪もどちらも好きだ。

私は田舎育ちだけれど、このような自然に接したことはない。

自然に対する感受性は、そこに暮らせば涵養されるというものでもない。

もし、私が生まれたときからこの環境にいたら、自然に適応して行動する能力はついたと思うが、この美を美として感ずることができたかどうか。

美の観察者という態度は対峙的でならなければならない。

しかし、真にその美を享受するためには、我を忘れてその美と一体化することが必要だ。

黒ラブの「つるこ」

3 月 20th, 2017

立派な黒ラブが来てくれました。

つるこちゃん

4歳のラブラドールです。

ちょっとステキな名前です。

8ヶ月のカワイイ人間の妹がいます。

これからきっと“つるこ”ちゃんはお姉ちゃん振りを発揮していくのでしょうね。

でも、まだまだオトウサン、オカアサンに甘えたいよね。

連休中はいっぱい遊べたかな?

隣のおばさんの超絶マッサージにウットリしているつるちゃん。

甘えん坊で賢い娘です。

暖かく穏やかな日でした。

青空っていいものですね。

気分が晴れやかになります。

黄金色の福寿草が満開!

いつの頃からか、自然に庭の一隅に咲くようになりました。

タネが飛んで来て根付いたのだろうと、草花に詳しい隣のおばさんが言っていました。

友人からの電話

3 月 18th, 2017

まだ寒いけれど、のどかな日が続いている。

ギャビの無防備なこの格好は、いつ見ても笑いを誘ってくれる。

いつまでも、こんな日が続けばいいなあ。

夕べ、高校時代の友人から電話があった。

二人とも大して勉強もせず、今にいたるまで悪友という関係である。

といっても10年に一度ぐらいしか会っていなかったが、トシをとったせいかここ数年毎年会っている。

彼女は美大のデザイン科を卒業し、広告会社に就職した。

その後28歳で独立してデザイン事務所を構えたが、バブル崩壊後立ち行かなくなった。

結婚したのは40歳近くだったらしい。

そして二人とも、もうすぐ70歳になり配偶者もいない。

夕べの電話は、我らトシヨリお定まりの、体の不調に関する話題であった。

で、ひとしきりその話題で盛り上がったあと、彼女が「ねえ、最近楽しいことあった?」ときくので「毎日楽しいけどこのあいだ、鳴門の大塚美術館に丸2日間入り浸ったよ」と答えた。

すると「いいわねえ、私はもう美術館を歩き回るなんてとてもできないわ」と頼りないことを言う。

去年は「ボッティチェリ展」を一緒に観て、ホテルでお互い言いたい放題のけなし合いをしたのに・・・・・。

「私が車いすを押してあげるから、あと10年、80歳までは生きていようよ」と励ました。

すると「とても無理、歯の治療が終わってリューマチが悪化しないうちに、すぐ会いたい」と言うのである。

「時」は無常である。

人は遅かれ早かれ様々な可能性を「時」によって奪われていくのだ。

その個人差は70歳過ぎたら、ほとんど変わらないのではないかと思った。

死は誰にでも平等に訪れる。

いつか死ぬ日まで、その日が分らないからこそ、朗らかに穏やかに人には寛容に暮らそう。

たとえ、体に多くの不調があるとしても、それは老化と受け止めて付き合っていこう。

そうだ、きょうは今にも死にそうだと言っている友人に手紙を書こう。

(マッタク大袈裟なんだから〜!)