東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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日曜日の犬

6 月 17th, 2019

グレートデンのヴァイゼ君が来てくれました。

8歳です。

この写真では撮り方のせいで首から下が小さく見えますが、このような体型ではありません。

体重70キロの堂々とした体躯で、ホレボレするように立派です。

彼は穏やかでやさしい性格であり、これだけ大きくてもちっとも威圧感がありません。

ヴァイゼ君のおかあさんは、犬を飼っているというより、大きくてハンサムな青年と一緒に暮らしているような気持ちでしょうね。

いいなあ。

ヴァイゼ君はおかあさんベッタリの愛すべき男の子でした。

チョコラブのハルちゃん。

7歳になってもチョコチョコと動き回って、ちっともじっとしていない元気な女の子です。

優しく愛らしいハルちゃんに、飼い主さんは一生懸命色々な練習をさせていました。

ハルちゃんは、ちゃんと言うことがきけるお利口さんでした。

サンショウバラ忌

6 月 14th, 2019

大好きなサンショウバラが咲き始めた。

こんなに美しい花なのに北海道や箱根の山に自生している原種である。

そういえば6年前の今頃、猫のバルが死んだっけ。

サンショウバラがハラハラと散る庭で、私の腕に抱かれたままバルは静かに逝ってしまった。

文字通りバラと一緒に散ってしまった。

あの日から遡ること8年、バルは勝手に我が家に棲み着いて、犬たちを脅しまくり、大喰らいでワガママで、暴れん坊、そのくせ寂しがりやの猫だった。

バルの名前の由来は、暴力を表すドイツ語「ゲバルト」からとったのだ。

きょうは「サンショウバラ忌」である。

ヨオッ!バアさん、やっとオイラのことを思い出してくれたのかい。

いつも言っているだろう、バアさんが思い出してくれる限り、オイラはバアさんの前頭葉に現れるっていうことを。

バアさんもこのブログで駄文を書散らしていないで、オイラの話す高尚な言葉を書き留めろよ。

ところでバアさん元気がないなあ、どうしたんだい?

「72歳になって何だか心細くなってきたの。この先どんな病気が待ち受けているんだろう、とかさ」

老いて病をどう生きるかだって?・・オイラが答えてやるよ。

といってもあの世にゴマンといる碩学の先人たちに聞いたハナシだけどさ。

良寛は「病むときは、病むがよろしく候」、つまり、受入れよ、と言っている。

良寛は子供と鞠ばかりついていたんじゃないんだぜ。たいした禅宗の坊さんだよ。

パソコンで「まり」を変換したら”真理”と出たよ。

なかなか深い偶然だなあ。

ドイツ中世の神学者エックハルトは、「人間はエゴを捨て、無になること」の重要さを繰り返し説いている。

つまり無我を唱える仏教みたいだなあ。

エックハルトは「病気になったときは、それが神のみこころであると受け取らなければならない」と言っているよ。

両名に共通している思想は、老いて病を生きるとき、ただいたずらにそれを嘆くのではなく、病という経験においてのみ開かれてくる「生きる質」というものを考えなければならないと言っている。

そのいい例として、歌人で国文学者の安田章生が、肺結核で入院していたときに詠んだ歌を挙げておこう。

「おのずからこころ閑かに生きゆけば病ある身は日月長し」(にちげつだぜ)

仕事もなくなり病を得た老人は、社会から離脱して生きることになってしまう。

しかしそこでは、日月長し、というように、世俗の時間を超えて、コスミックな時間が生きられるようになる。

「日月長し」とは、ひとつの抽象ではあるけれど、永遠が実時間に入り込んだような印象をオイラは受けるんだなあ。

バアさんには心強い言葉だろう?

バアさんも近い将来、これらのことを引き受けていかなくてはならないのだよ。それからオイラのところへ来るのさ。

「ワカッタ、ワカッタ。それよりきのうデッサン教室に行ってきたんだけど、満足に描けなかった。デッサンも挫折したからもうやめようかなあ」

オイラがあの世で会ったサルトルっていう、女好きのジイさんがこう言っていたぜ。

「挫折の中にはほとんど見分けのつかない成功が含まれている。希望がすっかり失われるわけではない。進歩というのはそういう形でしか実現しないのだ」と。

いいことを言うじゃあないか。

オイラなんかこの言葉を生きているうちに聞きたかったよ。

そうすれば何でも途中で投げ出さないで、ひとつくらいモノになっていたような気がするよ。

バアさんもその失敗作を、紙がすり切れるまで消して描いてを繰り返してみな。

そうやって新たにもう一度同じものを描いてみるのさ。

そうすれば、飛躍的に上達したものがそこにあらわれると思うぜ。

そういえば、ここの家のクソガキに「バルちゃん大好き!」なんて言われたことがあったなあ。

今思い出してみるとそんなこと言ってくれたのは、あのガキだけだったなあ。

オイラもまんざらじゃあなかったよ。

ところでバアさんの今の望みはなんだい?

「そうねえ、老後は2000万円必要だっていうから、そのカネに寄り添っていたいわねえ」。

バカ言ってんじゃないよ、バアさんは杖にでも寄り添っていろ!

オイラあの世に還るぜ!

「バルちゃん、又来てね。サンショウバラが咲くと、あなたが側にいるような気がするよ」。

オールドローズ

6 月 11th, 2019

この地でもいよいよバラが咲き始めた。

早咲きの原種に近いオールドローズである。

これはオールドローズ、「アルバ・マキシマ」である。

このバラは、15世紀イングランドの、ヨーク家とランカスター家の「バラ戦争」にまつわるところまで遡る。

ヨーク家の紋章白バラは、このアルバマキシマか、これの枝がわり、アルバセミプレナだといわれている。

一方ランカスター家の紋章赤バラは「ロサ・ガリカ・オフィキナリス」というオールドローズである。

赤バラといっても濃い赤紫であるが。

なんとこのバラも当ペンションにある。

どちらのバラも原種に近いのでエレガントとは言い難いのだが、香りはすばらしく良い。

特にこのロサ・ガリカ・オフィキナリスは合成香料が出るまで、香水の原料、あるいは薬として有名であった。

私はこの2種のバラが咲いている間は、トイレに活けて楽しんでいる。

で、約30年続いたこの戦争の結末はというと、結局は両方共倒れになってしまい、ランカスター家の傍系であるテテューダー家のヘンリー7世が、テュダー王朝を成立させることで終結する。

その後、幾多の政争を経て、エリザベス一世を戴いたイングランドは、今世紀まで繁栄していくことになる。

そのテューダー朝の紋章が、赤と白のミックスのバラ、「ヨークアンドランカスター」というのだから笑える。

当方の庭にはヨーク家の白バラ、ランカスター家の赤いバラがあるが、両者の統合のシンボル、テューダー朝の「ヨークアンドランカスター」もお招きしたい。

赤と白の絞りのバラであり、園芸店にはちゃんと売っている。

「ボクはバラもいいけど、この辺に咲くこんな花も好きだよ」。

原村の6月と7月はどこも花でいっぱいになる。

冬が長い分、初夏の美しさは胸躍るものがある。

私は、また来年もこの風景に会えるだろうか、と毎年思い続けている。

村民検診

6 月 5th, 2019

きょうは村のヘルススクリーニングがあるので、朝から飲まず喰わずで出掛けた。

そうしないと正しい測定ができないという。

この村民検診を私はもう5年以上受けていない。

何年も受けていないと村の保険師さんから電話があり、受けるようにと説得される。

大きなお世話と思ったけれど、せっかく電話してくれたので行くことにしたのである。

小さい自治体は誠にキメが細かい。

結果は7月の末に出るそうだ。

飲まず喰わずで半日過ごしたので猛烈にお腹が空いた。

元々食いしん坊の私であるから、気が狂いそうになるほどの空腹をダマしながら、すぐ食べられるものを買って家に戻った。

ガツガツと夢中で、我ながら浅ましいと思えるような食べ方をしてしまった。

食べる事を無上の悦楽としていたモンテーニュは、美食のためにわざわざ食を抜く事もしばしばだったという。

きょうはそんなモンテーニュの快楽についての貪欲さと信条が、痛いほど理解できた。

1食抜くと、美味しくたくさん食べられるので、これからはモンテーニュに倣って空腹を限界までひっぱり、それから美味しいものをたらふく食べることにしよう。

それこそが、いい人生の送り方だ。

ちょっとお、そんなことやめてくれないかなあ。

ボクはカアチャンにもっと高邁な生き方をしてほしいよ!

ひとり遊びの幸せ

6 月 3rd, 2019

この間まで新緑だった公園の西洋菩提樹の葉が、あおあおと繁っていた。

ここは大好きな場所であるからよく来て、充実した時間を過ごしている。

独りでいることの大切さをいつもここで考える。

夕べ息子が餃子を七十個以上作ってくれた。

「浜松餃子」だという。

これが非常に美味しくて、5人でたちまち全て平らげた。

私は72歳になり、もう残り時間が少ないことを意識するので、自分の存在を正しく享受しようと思う。

それには他者に時間を使われないことである。(お客さんは全く別次元のことであるし、それは私の存在の証明でもある)

幸いにも私はシングルであるから、相手に気を遣うことなどない自由な境遇だ。

「もうこの境遇は手放せない」といったら「もう誰にも相手にされないから大丈夫だよ」と全ての友人から言われた。

それに自分で自分を楽しませる術には長けているから、ひとりでいることには何の痛痒もない。

相手に何かしてもらうとか、一緒に出掛けるということが結婚していたときから煩わしかった。

それにしても世の中には“ひとり遊び”ができないばかりでなく、依存体質の女が多いなあとつくづく思う。

もっともトシをとると男の方が依存体質になるようだ。

私はもう家族のために料理をするなんて飽き飽きした。

家族だって私が作らなくても何の問題もない。

つい最近まで、料理をするのは自分のためでもあったし、まだ幼い孫にちゃんとしたものを食べさせたかったからである。

しかしそんなことはもうどうでもよい。

今から食べ物に気をつけても、寿命の方が早く来てしまうから無駄である。

好きなときに好きなものを食べよう。

とはいえ私はジャンキーなものは好きではないから、最低限は作るだろうなあ。

ボクにだけは作ってね。