東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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きょうも言いたい放題

2 月 19th, 2018

一日何もせずグウタラしていると碌なことを考えないので、朝から家事にいそしみ、買い物もいつものように4日分くらい買おうかと思ったが、半分の2日分にした。

なにしろ老人は週3回は外出した方がいいそうだ。そうしないと刺激がないから妄想の世界にいってしまったり、社会性がなくなるということだろう。私はそれでもいいけどね。

農協の金融に寄って入金したのだが、必要事項を書き込む段になってハテ今年は何年だ?と迷った。

役所や銀行の書類は元号を使わなければならないことくらい、いくら非常識の私だって知っている。

私はいつも西暦を用いているので、元号など意識的に遠ざけている。そろそろ世界標準にしてもらいたいものだ。

世界史と日本史の関係をみるときなど、本当に不便だ。

日本人は日本史だけ知っていればいいのか、というくらいだ。

そういえばこの頃テレビでやたら日本はいい!という番組が多いがどうしてだろう。

自分たちのアイデンティティが脅かされているとでもいった具合だ。

テレビはどこでもオリンピックしかやっていないので、漫然と見たのだけれど、あのメダリストたちこそ偏狭なナショナリストではなく、コスモポリタンではないかと思った。

カナダやオランダで指導を受け外国語にも通じ、多くの外国人とも交わっているからだ。

世界内から世界を見ても分るものではない。外からの視点による比較がなければ自国のよさも悪さも分らない。

というわけで私は家という狭い世界から出て、6キロ先の原村の中心で買い物やら銀行、役場などの体験をしてきたのだけれど取り立てていうことは何もない。あまりにも近過ぎたからか。

そこで本日の唯一の”とまどい”である元号であるが、何とか考えて書き終わり、目の前を見たらちゃんと大きく「平成30年 2月19日」と出ていた。

ここは年寄りが多いので、老眼鏡が用意してあるし、日にちやら何やら懇切丁寧に表示してあるのだ。

記入用紙だって大きい文字で必要な事以外は何もない。シンプルそのものである。

しかしこのように親切にされると、自分で考えるということをしなくなるのではないか、とも思う。

2日分の食料を買い込み帰りのクルマの中で、「シマッタ!茅野に買いに行けばよかった」と後悔した。

なぜならスピードスケートの金メダリストである小平奈緒は、茅野市の出身だから今頃どこのスーパーマーケットでも“お祝いセール”をやっているに違いないからだ。

しかし、混雑と熱気に遭遇するくらいならこれで充分と思い直した。

散歩道の雪はまだまだあるから嬉しい。

私がリアリティをもっていられるのはこの散歩道と、書物の世界くらいのものだ。

本日の言いたい放題

2 月 18th, 2018

何もせず、ただ無為に時を過ごしている。

庭で遊ぶ犬を眺めたり、鳥が餌をついばむ姿をじっと見つめて、あのアカゲラの「つがい」がこの庭の木に卵を産まないかなあ、などと夢想している。

私は生来怠け者で、遊び人の気質ゆえ暇で退屈したということはない。

もう70歳過ぎているのだから、これでいいのだ、という言い訳じみたことがチラッと頭をよぎるが、いやいや、たとえ年齢が若く働き盛りだとしても、人間の生のいとなみはすべて“気晴らし”、“暇つぶし”なのだと思い直す。

今を盛りのオリンピックだって、将棋だって、数々の文学賞だって、はたまたノーベル賞だって暇つぶしの気晴らしなのだ。

「人生とは、死ぬまでの猶予期間」とはよくいったものである。

これはショーペンハウアーの言。彼は西欧の哲学者ではじめて仏教思想にカブレタ人。

仏教は、無我になれ、個人という我執を滅却しろとうるさくいうが、彼は最後まで西欧的個人からは抜け出せなかった人。

それでは気晴らし、暇つぶしではないものとは何か?

それは、自分は必ず死ぬ、ということをシッカリ見据えて生き抜くこと以外にない。

「人生に意味はない」なんて、この言葉の出典も知らずに知った風なことをいう人は、生の意味を考えたことがあるのかねえ。

ただ言えるのはノンベンダラリと過ごしたり、あるいは快楽を追究して過ごしていると、生の“もち時間”は著しく短く感じられてしまうことだ。

それが嫌なら抱え切れないほどの仕事をもつことだ。

これだって暇つぶしなんだけど、快楽の要素がないから拘束時間というものに換算されてなが〜く感じられてしまうのだ。

愛しているよ。ギャビちゃん!

2月15日、もう月半ば

2 月 15th, 2018

新聞を取りに外に出たら、今朝は珍しく気温がプラス3度だった。

昼、買い物に行くころには、雪がどんどん溶けていった。

ちょっと寂しい。

お客さんから手紙を頂いた。

この方はもう仕事も定年退職され、今は小学生に読み聞かせのボランティアなどをしている。

文面は、ベランダで育てているチューリップとアネモネの様子や、何年か前のお正月の切り花の葉牡丹に根が付いていたものを、プランターに移して大事に育てていることなどを情緒ゆたかに知らせてくれた。

本当の幸福とは、こういった日常生活に根ざしたところから喜びを得られることであろう。

それはひとつの能力である。

美や幸福を発見できる精神とは、長年にわたる仕事や対人関係の中で、様々な葛藤や喜び苦しみを経てはじめて得られるものである。

それは老年期になってやっと結実した果実なのだ。

夕方撮ったちょっといい写真。

明日はもうこんな風景は見られないだろう。

現象世界は移ろいゆく仮象だというけれど、それだからこそ私にとっては愛おしい。

2月12日

2 月 12th, 2018

厳冬期にお客さんはあまりいないが、連休のときは何組か来て下さる。

ありがたいことである。

久しぶりに犬たちの足音が、建物全体に響き渡って何だか嬉しかった。

犬の足音には人を和やかな気分にさせてくれるものがある。

トットットという小型犬の足音、ドッドッドという大型犬の足音、どれもいい。

あれはラブの茶々丸かな?なんて想像するのが楽しい。

最近のギャビは元気だ。

とはいえ、去年は寝室が寒くて風邪をひいたので、寝るときはオイルヒーターをつけパジャマを着せている。

私は甘い甘〜い親なのよ〜ん。

彼はもう11歳なので初老といえる。

私もギャビもどの瞬間においても、同一物であるのだけれど同一物ではない。

刻一刻と細胞が死に、また新たな細胞が形成されているからだ。

いつしかそれが死に絶えていくのだなあ。

そういえば、双方とも身体の変化のみならず性格までも変わっていくようだ。

ギャビは気難しくなり、私は穏やかに優しく寛容に・・・・・もうやめておこう。

今夜も冷える。

連休のレトリバーたち

2 月 11th, 2018

茶々丸がまた来てくれました。

“気は優しくて力持ち”を絵に描いたような男の子です。

もう10歳になりました。

階段を登るのを嫌がったので、年齢のせいかと思ったのですが何のことはない、怖かったのですね。

おかあさんに励まされると、ブルドーザーのように駆け上がりました。

モモちゃん

長い脚の女の子。

きょうだい犬のムサシ君と暮らしているのですが、そのムサシ君はテーブルの下から出て来てくれませんでした。

ニコちゃん

ハンサムな男の子です。

やさしく白く優美です。

綿菓子ちゃん。

きっと仔犬のときにフワフワとした綿菓子のような女の子だったので、このように命名されたのではないかと思っています。

美形です。

☆       ☆       ☆       ☆

連休初日の土曜日は珍しく寒くない日でした。

とはいえ、雪はまだまだ多かったので、雪遊びのできる大型犬が来てくれました。

日曜日の11日の朝は雪。

犬たちは大ハシャギで遊んでいました。