東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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早朝の散歩

11 月 22nd, 2017

すっかり散歩が好きになったギャビが、起きてすぐ、早く行こう行こうと催促する。

今朝の外気温はマイナス5度。

それでも散歩に行く時は、暑くなるので部屋の中で着ている服に、ユニクロの薄いダウンベストを羽織るだけ。

頭には夫の形見の野球帽(ベースボールキャップというそうだ)を被る。朝日がまぶしいから。

アイツは頭がデカかったので、後ろを縫い縮めて私のサイズに直したけれど、白い糸だったので黒地に転々と糸目が出ているのがちょっと恥ずかしい。

いずれその部分を黒いマジックインキで塗りつぶそう。

そして耳当て(イヤーマフともいうそうだ)手袋(今はグローブとでもいうのかな)を付けて完璧な装備となる。

私の大好きな「南の溜め池」にいざ出発!

今頃カモの親子が泳いでいるかな?なんて楽しい想像をしながら。

凍った藤尾根湖に朝日が寒々と輝く。

きょうは昨日のようなドリフト歩きはやめ、森閑とした別荘地を軽やかに歩く。

でも何事につけ脇道に逸れたくなるのが私の性癖。

とうとう細い道に入り込んで迷ってしまった。

あっちの道、こっちの道と色々試してみたがどうも違うようだ。

ふとここで「ルネ・デカルト」は、少しでも疑念のあるものはすべて「偽」つまり誤りであるから、排除しなければならないと言っていたことを思い出した。

私は面倒でも、もと来た道を辿ることにした。

デカルトは思考の方法についてメタフィジカルに述べているのだが、私のこういったフィジカルな問題にも応えてくれたのね。

ルネちゃんthank you!あ、フランス人だからmerciかな。

行く手を阻む倒木。

人生の壁も、このギャビのように軽々と越えたいものだ。

でも、私はもう壁なんて越えずに、それに沿って歩いていくからいいんだ。

ようやく「南の溜め池」まで来たら水がすっかり抜かれて干上がっていた。

灌漑用の池だから、来年の田植えシーズンまでに池底をきれいにしておこうということかもしれない。

池底には古自転車もタイヤも何もなかった。

檀(マユミ)の木に残っている実を、小鳥が何十羽もついばんでいた。

眼と鼻の先で見られる感動的な光景に興奮した。

一瞬でも長く見ていたいから、写真なんか撮らない。

私は石像にでもなったように、身を固くしてひたすら見入った。

真っ黒な丸い眼で、白くて小さくてフワフワしている鳥だった。

きょうはカメラを持ってきたので、土手に無理矢理ギャビを座らせて写真を撮る。

このふてくされた顔!

家を出てから1時間40分。

楽しい冬の散歩だった。

朝ご飯の美味しかったこと!

長い散歩

11 月 21st, 2017

夕べうっすらと雪が降った。

きょうは散歩日和だ。

きのうは松本から友達が4人来ていてたので、私は全く歩いていない。

歩いていないと膝と足首の関節が少し痛くなる。

古い機械に油が廻らないのと一緒だ。

そこできょうは長めの散歩に出ることにした。

林の中の道なき道をズンズン進んで行く。

まさに藪漕ぎである。

牝鹿になったような気分でいたが、途中で冬眠前の肥えた熊かもしれないと思い直した。

雪化粧したクマザサの美しさは喩えようもない。

いつだって電話とカメラは不携帯の私だから、この美しさとギャビの飛び跳ねる様をカメラにおさめることができない。

人っ子ひとりいない森の中を彷徨っていると、自分は人間だとは思えなくなる。

ギャビと一緒に動物になっているようなものだ。

行く先をギャビにまかせていたら、道らしきものが見えたので、彼にリードを付けて家路に着いた。

2時間半もフラフラしていたが、それほど疲れなかった。

ギャビは家の中ではものぐさで少しも動かないけれど、森や林では活発に走ったり跳んだりする。

別人ならぬ別犬に変身するのである。

残った花

11 月 18th, 2017

予報ではきょうは雪ということだったので、霜に耐えてまだ咲いている庭の菊やバラを切って、37年前に買った錫(スズ)のワインデキャンタに活けた。

粗雑な私はガラスや陶器の器はすぐ割ってしまうけど、このスズのワインデキャンタはまだ私と共にある。

大抵は花を活けるときに使うか、デッサンのモチーフにしていて、デキャンタとして利用したことは殆どない。

なぜかといえば、デキャンタにするためにはピカピカに磨かなければならないからだ。

粗雑である上に無精な私の性格とくれば、当然のなりゆきである。

たとえ割れても、ガラスのデキャンタの方が洗って乾かすという単純な作業なので私と親和性がいい。

3時のおやつには隣のおばさんも呼んで、羊羹一切れを抹茶を点てて味わった。

別に意地悪したわけではないけれど、ダイエット中のおばさんに羊羹をもう一切れすすめたら、何の躊躇もなくはじめの一切れより厚く切って食べた。

彼女にとってダイエットは永遠の課題のようだ。

(コタツにもぐったままのギャビ)

タイヤは準備おさおさ怠りなくスタッドレスに替え、雪の降るのを楽しみにしていたけれど、雨とはねえ。

ギャビもガッカリだ。

彼は雪の日の散歩が大好きだから。

気温が低いのでこの辺の雪は乾いている。だから頭や背中に雪が降り積もっても、ブルブルっと大きく体を振ると雪はすぐ落ちる。

その行為がギャビはおもしろいのだ。

ピアノとギャビ

11 月 16th, 2017

きょうは誰もいないのでピアノを弾くことにした。

いくら家族とはいえ、彼らに迷惑はかけたくない。

素人の弾くピアノは耳障りで、聴かされる人は苦痛以外の何ものでもないからだ。

ピアノを弾く前と読書の前は、家事をすべて済ませてからにする。

特に掃除、片付けは重要だ。(これホントに大事、頭も整理される)

澄んだ気持ちでピアノに向かうと、音色も清らかになるような気がする。

先ずはじめに、バッハの平均率クラヴィーア曲集から「プレリュードハ長調」を弾く。

ご大層な名前だけど、ピアノを習い始めた子供でも弾ける簡単な譜だ。

しかしさすがバッハ。

この曲は奥が深く、その美しさに私は弾きながらウットリする。

自分の気持ち次第で曲はどのようにでも変化する。

ところがである、家族は誰もいないはずだったのに、思わぬ歩兵が一頭ひかえていた。

ギャビである。(彼も家族だった)

私がピアノを弾かなくなった原因のひとつにギャビがいる。

彼が特に嫌いなのがベートーヴェンの悲愴の第二楽章である。(私は大好きなのに)

ギャビは鍵盤に手を置く私の手を、鼻先でグイっと押し上げ弾かせようとしない。

だからこの曲はもう何年も弾いていない。

次に嫌いなのがバッハのプレリュードであるが、構わずを弾き初めたら、ギャビはすぐキャウキャウと不快そうな声を発し、弾き終わらないうちにギャンギャンと大怒りの鳴き方をしたのでやめた。

面倒くさいのか、『悲愴』よりはまだマシなのか、ソファから降りて来て私の手を鼻先で除けようとはしなかった。

不思議なことにギャビが嫌がるのは、私が弾くピアノがヘタだからということではなさそうである。

CDでこの2曲を聴かせても嫌がるのだから、曲が本当にキライらしい。

ピアノよりフラフープでもしたら?(ギャビ)

フラフープ

11 月 14th, 2017

先日孫娘の誕生日だった。

まあ何かプレゼントをと思い立ったが、子供の喜びそうなものなんて、与えてもすぐ飽きて見向きもしなくなる。

そこで私も使えそうなものを、ということでフラフープをネットで注文した。

私が小学生のころ、つまり60年前フラフープが大流行した。

休み時間になると、みんな一斉に校庭に出て回したものだ。

送られて来たフラフープは、弧を描いたパーツ6個を組み合わせて円にするものだ。

うまく考えたものだとつくづく感心した。

直径95センチで2150円。私が子供のとき使ったものより大きく材質も良い。

早速孫と試してみたが、彼女の上手さには舌を巻いた。

学校にもフラフープがあるから、いつも遊んでいるそうだ。

私も昔取った杵柄とばかりに使ってみたが、小学3年生の孫ほど高速で回せなかった。

一生懸命回したらウエストが細くなるかなあ。

ムリだね。