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Archive for the ‘未分類’ Category

連休のワンコたち

7 月 15th, 2019

ダルメシアンのノエルちゃん

繊細な性質です。

体型が亡くなったユーリにそっくりで胸が痛くなりました。

ユーリは黒ラブとダルメシアンのミックスでしたから。

チョコラブのニケちゃん

航行の女神「サモトラケのニケ」から採ったんだね。

賢くて物静かな女神さまでした。

向かって左がポインターのレモン君、右がコッカーのエルマー君。

レモンは山に棄てられ、エルマーは飼い主の飼育放棄に遭った犬です。

強い憤りをおぼえます。

でも今はあたたかい飼い主さんに巡り会え、幸せに暮らしています。

この2頭にも飼い主さんにも幸あれと祈らずにはいられません。

5月に来てくれたばかりだけど、また来てくれてありがとう!

ジャックラッセルテリアのブリ(男の子?女の子?)

とっても可愛らしくてオトウサンにベッタリの犬です。

黒ラブのラック君とよく遊んでいました。

黒ラブのラック君

元気な3歳です。

飼い主さんは「食堂には連れてこられない」なんていっていましたが、今朝は来てくれました。

大丈夫。すぐ慣れました。

ブリちゃんと遊んだね。

シェットランドシープドッグのマロノスケ君

この上品なたたずまい!

ハチャメチャな遊びなんてしません。

あくまで高貴なマロ様でした。

みんな逝ってしまったけれど、また飼い主さんと来てくれました。

そこにもあそこにもちゃんといましたよ。

ゴロウ、リュウノスケ、コジロウ。

あなたたちのことを忘れないよ。

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雨、ノハナショウブ、ピアノ

7 月 9th, 2019

大好きなノハナショウブが咲いている。

園芸種の花菖蒲はノハナショウブの改良品種である。

原種だけに株ごとに花の色も大きさも違う。

これに限っては大切に育ててきたので、今は株も大きくなり増えてきたのが嬉しい。

7月の名花である。

きょうは雨。

しんと静まりかえり、聞こえるのは雨音ばかりである。

こんな日は私にとって大歓迎であるにもかかわらず、心配のタネがある。

あれほど食欲旺盛だったギャビが今朝はご飯を全く食べない。

下痢気味だし体調不良であるらしい。

そういえば最近の彼は夜の歯磨きとオシッコが終わると、すぐ自分の部屋(私の部屋でもある)に直行である。

以前はネエチャンたちがいるコタツ周辺でハシャイでいるのが好きだった。

私がいくら部屋に行こう、と誘っても「まだイヤ!」といってきかなかった。

みんながそれぞれのねぐらに引き上げ、電気を消すとギャビも私のところへやって来て寝る。

というのが習慣だった。

今月の初め、13歳になったのでギャビはもう老犬である。

心細いのかいつも私と一緒にいたがる。

私から露骨に離れていくのは、私がピアノを弾いている時だけである。

その、さも“イヤだ!”といわんばかりの態度が面白いけれどカワイソウなので、私はピアノをやめる。

かくして私のピアノはいつまでたっても上手くならない。

松本の友人は、15歳になってすっかり衰えた老犬と“フタリ”だけで暮らしている。

彼女は毎日が薄氷を踏むおもいだ、と言っていたが私もこの先そんな日を送るのだろうか。

シューベルトの『ロザムンデ』から易しい間奏曲を弾いたら、お気に入りの場所でぐったり寝ていたギャビは、憤然と廊下に走っていった。

よかった!

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かまぼこ

7 月 4th, 2019

高級かまぼこを頂いた。

スーパーマーケットで売っている安物のそれとは違い非常に美味しい。

当家には仏壇こそないが、自分の部屋の電子ピアノの上に、逝ってしまった両親や夫と犬猫たちの写真が飾ってある。

そこにこのかまぼこを供えた。

あとで私のおやつにする。

そして近所の男やもめ二人にもお裾分けした。

75歳を過ぎて、食事の支度が死ぬ程イヤだという二人のジイさんに大いに喜ばれた。

すぐ酒の肴、ごはんのおかずになるからである。

「アンタはええなあ。こんないいもの送ってくれる人がいて」と言われた。

玉ねぎとニンニクを「お返しだよ」と言って新聞紙に包んでくれた。

私をはじめ、独り者がこのペンション区にも多くなった。

仲良くしていこう!

ヨオ、バアさん高級かまぼこを供えてくれてアリガトよ。

どうした?バアさん疲れた顔して。

なにい?死と向き合うにはどういう心構えでいればいいかって?

現世主義者のバアさんがどういう風の吹き回しだい。

中世初期のセビリアの大司教イシドールスはこう言っているぜ。

「永久に生きると思って学びなさい。明日死ぬと思って生きなさい」と。

もっともオイラあの世で仲良くしている古代ギリシアの哲学者エピクロスは「死は生きているうちは経験しないのだから、死を思い煩う必要はない。いつも通りに生きなさい」と言っているよ。

オイラこっちの方が好きだなあ。

な、バアさんも安心しただろう?

「バルちゃんお花あげる」

こんな時もあったなあ。

オイラに花をくれるなんていったのはあのクソガキだけだぜ。

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梅雨でも散歩

6 月 29th, 2019

雨の合間を縫ってギャビと散歩する。

おっと、孫も一緒に。

孫はスキップでどんどん進んで行くので、私は追いつくのが大変だ。

もう私はスキップなんて出来はしない。

この肉体の衰えは我ながら情けないのだが、まあ仕方がない。

歩けるだけでアリガタイ。

オスカー・ワイルドは老人の悲劇とは、肉体が衰えても精神が衰えないことだと言っていた。

俗にいう頭は衰えていないが体力が追いつかない、ということか。

よく若ぶっている老人が言うことだ。

大丈夫、私は頭も体も順調に衰えているから、老人の悲劇には見舞われないだろう。

惚けてもいいかなあ。

ここは今年の5月にオープンした文化園の前のパン屋さんの敷地。

ご主人は昔子供だった(当たり前か)40代の男性。

原村に帰って来たのね。

どうも彼の子供時代のイメージが強いので、薪釜に向かっている逞しい後ろ姿がピンとこない。

ここのパンは余計なものが入っていないので素朴で美味しい。

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6月の花

6 月 24th, 2019

(シベリアアヤメ、オルレア(レースフラワー)ともいう)。

当地はどこも花盛りである。

知人のメールで6月22日は夏至だったことを知った。

6月は雨の季節ということで、多くの人は嫌うが私は子供の頃から好きだった。

夏至と冬至には特別な思い入れがあり、そこをひとつの基点として季節の移ろいを日本的な“もののあはれ”という感覚とともに確かめていたものである。

さらに言えば夏至と冬至に寄せて「生成」と「没落」というもっとハッキリとした観念をもったのは成人してからだった。

でも悲しいかな、昨今はそんなことも忘れ、ただ日々の雑事に取り紛れ、そんなことは忘れていた。

6月は猫のバルがサンショウバラの散る庭で逝ってしまったことが強い印象となり、夏至のことは忘れていた。

きょうは朝から冷たい雨が降っていて、4月中旬並みの気温である。

当地の6月は夏も春もあって不思議な季節だ。

(どちらの花もどこからか飛んできたタネが、当地に根を張ったものである。私も飛んで来たタネみたいなものである)。

毎月訪ねている恩師の老人施設は秩父に近い、塩山の北にある。

東京からやってくる奥さんとは駅で正午に待ち合わせているが、私はその前に周辺を走り回って出身地である“山梨”をあらためて確かめている。

もちろん人間は介在しない風景だけであるが、信州の風景との違いを眼と心に刻んでいる。

そうしながら、私はごく狭い範囲から対象を捉えているだけで、私は自分に固有の対象領域だけが「世界」なのだなあ、いうことをつくづく感じた。

ギャビとお別れしたら、私は長く日本のあちこちを旅してみたいと思う。

それはいわゆる観光旅行ではなく、旅がそのまま自分を確かめるという、行みたいなものにしたいと思う。

人生が楽しいか否かは、結局のところ本人の意識を何が支配しているかによる。

(ウツギ2種)

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