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2月5日

2 月 5th, 2023

まだハタチそこそこのバカ学生だった頃、友達の持っていた当時流行りの週刊誌「平凡パンチ」を読んでいたら、ノンポリにも分かるマルクス思想というようなページがあった。(時代だねえ)

人間の意識が彼らの存在を規定するのではなくて、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。

といった文言に触れ、私は驚天動地とも言えるような衝撃を受けた。

それまでの私は徹底した観念論者主観主義的人間であり、芸術作品も主観の表出だと信じて疑ってなかった。

私が世界、私がソレだと認めて初めて、ものが存在するのだ、というような傲慢でバカな考えに取り憑かれていたのだ。

完全に目が覚めた。

「私」は対象があって初めて存在する、私の「意識」は学校や家庭など社会的存在によって規定されているのだ、ということが解った瞬間だった。

マルクスさまのおかげね、と図書館で『資本論』のページを開いてみた。

辛抱強くページを繰っていったが全く読めなかった。「ニイチャンはよくこんなものを読めたわねえ、地頭の相違ね」、と11歳年上の兄を思い浮かべながらページを閉じた。

それからの私は音楽も美術も文学も思想も、また美術史で使った『聖書』も、好き嫌いだけではなく、歴史的社会的背景を考慮しながら理解していくという態度が身についた。

大嫌いだった戦争高揚絵画やプロレタリアアート、レアリズム絵画も冷静に公平に観ることができ、美点さえ発見できるようになった。

美術教師は「理屈は無用、ただ感じればいい」ということを言っていたが、バカか?

作品を前にして理屈が無用であるのは最初と最後だけ。その間にあるのが長い時間をかけた「読み」なのだ。

これは多くのことに当てはまると思う。

マルクスさまのこの文言は、55年経った今も、私の脳裏にしっかりと刻み込まれている。

たとえ彼が意図したこととは少々ズレているとしても。

アナベルの花が散るでもなくそのまま枯れて残っているけど、時期がくればちゃんと落ちる。

だから私はそのままにして枯れた風情も楽しんでいる。

隣のおばさんは“ただ無精なだけ”というけれど。

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1月31日

1 月 31st, 2023

今朝はマイナス14度。

このくらいの気温になると窓に氷の花が咲く。

これを見ていたら、忘れていた遠い記憶が呼び覚まされた。

子供の時、大好きだったアンデルセンの童話『雪の女王』である。

ディズニーの映画『アナと雪の女王』とは全く別物。

題名は雪の女王だけど、女王がヒロインではない。

主役はあくまで少女「ゲルダ」。

雪の女王に拉致されたボーイフレンドのカイを、少女ゲルダが連れ戻しに行く物語だ。

言ってみれば少女ゲルダの冒険譚だ。

これを読んではじめて女の子にも冒険が可能なのだということを知らされた。

シンデレラに代表されるような、貧しいけれど美しい娘が(これがキモ、決して普通の容姿の娘ではない)どこぞの王子様と結婚してメデタシ、メデタシという物語にウンザリしていた私にとって非常に新鮮だった。

童話にしたら長いけど、夢中で読んだ。

昼は外で暗くなるまで遊んでいたので、読書は夜だった。

テレビもゲーム機もないから本でも読むしかなかったのだ。

本が売れない、というけれど当然よね。

後年原作を翻訳したものを読んだけど、感じたことは子供時代と同じだった。

幼心に理性の象徴のような雪の女王にちょっと憧れた私であった。

なんとなく女王の氷のような理性対ゲルダの炎のような愛を読み取っていたようだ。

私の心に残っている童話はアンデルセンをはじめ、オスカー・ワイルド、サッカレイ、ディケンズなど第一級の文学者が書いたものばかりだ。

児童文学というジャンルのものは全て忘れた。

だって面白くなかったもの。

マイナス10度以上になってしまうとこの花は崩れていく。

そんなもの見ていないで早く散歩に行こうよ。

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1月27日

1 月 27th, 2023

今朝の外気温はマイナス8℃。

マイナス16度や15度に慣れてしまったので今朝は暖かく感じた。

ギャビも嬉しそうによく歩いた。

マイナス8度は先日のような凶暴な寒さではない。

マイナス16度で横殴りの風とくれば、何も考えることはできない。

「ギャビちゃん早く用を済ませておくれ」と願うしかない。

ギャビの二つが済んだあと、家に向かうことのできる喜びは、何ものにも変え難いと思うほどだった。

惨めな状態の中で、たとえ一瞬でも幸福はあるのかもしれないと思ったりして。

今朝はマイナス8度の“暖かさ”の中で余裕があるせいか、柳宗悦のこんな短詩が思い出された。

秋寂ぶ 夏を経て 冬厳し 春を含みて

ここは全て凍りついていて、あんまり春を含みてという感じはないなあ、と思いながら歩く。

春は地面の下ね。

ま、苦痛も歓喜も束の間にすぎてゆく。

私の75年も束の間だったなあ。

光陰矢の如し

少年老い易く学成り難し

どちらも今は切実感をもって我が事として引き受けられるし、その意味もよお〜く理解できるようになった。

だけど私は若い人にこのことを説いたりしない。

若者は老人の言うことなんか決して聞かないのだから。

年取って思い知るがいいさ。

これを言い出した人だって年老いてからだろうよ。

もうボクは雪を喜ばないよ。

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1月25日

1 月 25th, 2023

雪は思ったより少なかった。

ただ猛烈に寒かった。

気温マイナス15℃、札幌のマイナス12℃より低い。

そんな中をギャビの排泄散歩に出る。

冷凍庫の中にいるようなもの。寒いというより痛い。

ギャビは足が冷たいので片足を上げて一時停止・・・それから再始動。

暖かい部屋に戻ってホッとしたようだった。

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1月24日

1 月 24th, 2023

思ったより寒くなかったよ。

今日から10年に一度の大寒波が来るという。

あまり驚かないが、まあマイナス16℃くらいならいいかと思っている。

いつも通り犬の散歩をして、いつも通りの暮らしをするだけ。

でも水周りの凍結防止帯のコードが外れていないか、客室のユニットバスが凍っていないかなどを見に行かなくてはならない。

寒冷地に住んでいると冬は油断ができない。ボケている暇もない。

先日松本の銀行に行った。

みずほ銀行に行きたかったのだが、ひとつ手前に「りそな銀行」というものもあった。

ハテ?「りそな」とはどういう意味だろうと気になり出した。

気になりだすと調べてみなければ気が済まない性格ゆえ、道の端に立ってスマートフォンで調べてみた。

「りそな」は、ラテン語で「Resona=共鳴する、響きわたる」という意味を持っています。 私たちにとって、もっとも大切なものは、お客さまの声です。 お客さまの声に耳を傾け、共鳴し、響き合いながら、お客さまとの間に揺るぎない絆を築いていこうという思いをこのネーミングに込めました。

ふう〜んラテン語かあ、そういえば英語ではresonate とでも言うんだろうなあ、英単語なんてあらかた忘れたなあ、などと思いながら「りそな銀行」に入ってしまった。

みずほ銀行の利用は一年に一回くらいである。

なんだか以前とは仕様が変わったなあ、くらいに思いながら現金引き出しのペーパーに記入している時点でも、私はまだ気がつかない。

みずほ銀行の通帳片手にペーパーをヒラヒラさせていたら、行員さんが「お客様、みずほさんはお隣ですよ」と教えてくれた。

ああ、またやってしまった!とみずほ銀行のベンチに座って手帳を取り出し、この失敗を記入した。

私はこのテのボケをその都度記入して、2週間ごとに読み返している。

これをはじめてから、格段にこういった失敗が少なくなった矢先のことだった。

ボケ防止というけれど、ボケたことを忘れないようにすることが大事ではないか。

しかし手帳にはクルマの運転時の失敗はまだ記入されていない。

なぜなら、クルマを運転するときはそれだけに集中し、他のことは一切考えないようにしているからだ。

たとえ気になることがあっても、意志的にすぐ忘れることにしている。

だからずーっとゴールド免許だ。

手帳に記入しなければならない事態が生じた時は運転免許返納かな。

今日の私の昼食

大根、さつまいも、れんこん、にんじん、白菜、玉ねぎ、里芋の具沢山味噌汁をどんぶり一杯。

イワシの丸干し3尾、頭以外は骨ごと全部食べる。

干し椎茸と切り干し大根の煮物、干し大根の甘酢漬け。

これらを全部食べる。

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