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3月31日

3 月 30th, 2023

孫が母親の実家である奈良に行ってきた。

奈良公園で鹿の子供に鹿煎餅を与えている。

それを持ち帰りギャビにも食べさせた。

ネエチャンから大喜びでもらうギャビ。

知人が「自分史」を書いているという。

今78歳だから80歳までには書き上げたいのだそうだ。

その意義は過去の整理でもあるし、自分がどう生きたかということを子供や孫に伝えたいのだという。

私にも書くようにとその人は勧める。

私は嫌だね。

過去は常に回想する人にとって都合よく整理されたり、塗り替えられたりするからだ。

過去にしでかした醜悪な所業など書けるのかねえ。

流行り言葉の“黒歴史”には蓋をするということか?

人はその行為を弁明しようとしたり、書き換えたりする瞬間に、人としての誇りを失う。

そんな欺瞞は精神の退行以外の何ものでもない。

読者を子供や孫に於いているのであれば尚更であり、その時点で誠実であることから離れる。

誰でもそうであるように、私はこの世に理不尽にも投げ出されて75年経った。

冷静に今の自分の気持ちを表明すれば、それでも親を恨んだり感謝したりすることもなく、まあまあ両親は親の責任を果たしたなあ、くらいに思っている。

もちろん愛着はある。

親との関係を相対化するたびに私は自由を獲得し、大人になっていくことを感じる。今もそうだ。

そして親と子は根源的な他者であるということを、年齢を重ねるたびに思う。自分の子供に対してもそうである。

なぜならそのことはエゴの滅却だから。

それを認めてはじめて、他者に対する優しさも寛容さも出てくるように思う。

自分史ねえ、私の場合、自分の生きた歴史は自分だけのものにとどめておくのが良い。

それでも綻びから時々漏れ出すけどね。そのくらいがちょうどいい。

高知の田舎に移住して、半自給自足を営んでいる友人夫妻は、時々子供達に宛てて自分たちの近況を写真とメールで伝えている。

私にも送ってくれるけど、そこには作物や動植物、虫、薪の確保のことなどがありとても面白い。

客観的な写真とともに、「今」の記録としてあるからいいのだ。

子供たちはちゃんと返信しているのかなあ?

しなくてもいいけどね。

双方が見つめ合っている。

どちらも文句なく可愛い。

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