東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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『70歳の日記』メイ・サートン

5 月 17th, 2017

ももちゃん

友人が私の誕生日に『70歳の日記』という本を贈ってくれた。

タイムリーだこと。

著者はアメリカのメイ・サートンという女性であるが、この本は彼女が70歳になったのを機に、一年間を日記として綴ったものである。

メイ・サートンは70歳からの晩年を、カナダの国境に近い土地で、庭仕事と著作でひとり暮す。

ターシャ・チューダーみたいだ。

その土地は、原村の気候風土と似ているらしく、花が咲く季節も、植生も本当によく似ている。

メイはこの本の中で庭仕事をした夜、「良く年をとることと大地と仲良くすることは、関係があるのかもしれない」と書いている。

きのう私は雪が溶けてから初めて、庭仕事をイヤイヤ3時間やった。

終わったあとは疲労困憊し寝込んでしまった。

とても大地と仲良くできそうにない。

一気に5年くらい年を取ったようだ。

マムシ草、ウラシマ草ともいう。

13歳のももちゃん、そして私の誕生日

5 月 15th, 2017

トイプードルのももちゃんが来てくれました。

もう13歳ですが、去年と少しも変わっていませんでした。

ももちゃんと多留姫の滝に行くことにしました。

当方の猫、テスより柔らかな肉球のももちゃんの足に、砂利道は負担です。

そこでこんなカワイイ靴を履くことにしました。

吊り橋も平気で渡ります。

滝に水は少なく、マイナスイオンを浴びるほどはありませんでした。

ヤマツツジが満開でした。

ももちゃんにはこういった山の花より、バラかシャクヤクの花の方がよく似合うね。

☆     ☆     ☆

きょう私は70歳になりました。

ここでペンションを開業して38年経ちました。

よく無事でここまでやってこられたと思います。

ひとえにお客様と、家族や友人、アルバイトさんのお陰と深く感謝しております。

私は今まで哲学を勉強してきました。そして哲学は「死の演習」であると叩き込まれてきました。

ですから死に対する覚悟はできている、と思っていたのです。

でもそれは心身ともに健康な、若いときだけしか受入れられるものではない、ということがよく分ってきました。

いよいよ70歳を迎え、生に執着している自分にうろたえています。

あと10年、20年なんてすぐ経ってしまいます。

それで終わりかと思うと暗澹たる気持ちになります。

先日クリスチャンの知人に「皆さん信仰をもっていなくて、よく不安なく生きられるわねえ」と言われてグサッときました。

返す言葉もなく、やっぱり最終的に人を救えるのは宗教か、と力なく考え込みました。

バッハは多くの子どもを扶養し、膨大な数の作曲に明け暮れる日々の中で願っていたことはただひとつ、「死ぬこと」だったそうです。

もちろんそこには白内障の手術に失敗し、失明したことが大きく関係しているのでしょうが、バッハにとっては「もうこの身はいつ神に捧げてもいい、早く神の身許へ」と思っていたに違いありません。

よく生きる人はよく死ぬのですね。

私はよく生きたとは言えないので、そのような煩悩に苛まれるのだと心底思います。

ももちゃんのパパさんが、ギターを弾いて歌をうたってくれました。

ハッピーバースデイの歌と、『夏は来ぬ』です。

それと夕べも歌って頂いたのですが、私の大好きな『早春賦』も再度リクエストしました。

心に残るいい誕生日でした。

「そろそろ引退かな」とつぶやいたら、息子が「オレ?」と嬉しそうに言いました。

こんなバカ息子を抱えているので当分引退できそうにありません。

ああ、新緑が眼にしみる。

バルが来た

5 月 13th, 2017

オイラ久しぶりにこの世にやってきたけど、ずいぶん様変わりしたなあ。

みんなどうして何でもかんでも写真に撮るんだあ?

風景、人間、動物、レストランでの皿の数々。

まるでレンズを通してでないと、その存在を確認できないようじゃないか。

自分の記憶力に自信がないんだな。

ちゃんと見なくていいのかい?

それとも写真の方が現実なのかい?

オイラには写真を撮ることによって、自分の歴史というか、ささやかな人生を、記録の中につなぎ止めているようにしか見えないなあ。

そんなんじゃないわよ。

聞いた話なんだけどね、撮った写真を元にSNSに投稿するんだって。

写真はひとつの素材にすぎないのよ。

写真を使って何らかの創造や構成を試みているのね。

年寄りが“自分史”をつくるようなもんじゃない?

ふ〜ん、誰にでも表現欲求があるんだなあ。

オイラに言わせりゃあ“承認欲求”みたいなもんだと思うけどね。

バルちゃんはどうしてそんなに意地悪なの!

春を楽しむ

5 月 11th, 2017

飼い主さんが「イナバウアー!」と声をかけるとこんな風にグイ!と反り返ります。

柴犬でこんな芸をする犬を初めて見ました。

でも、モモちゃんは10歳の白くて立派な柴犬らしい柴犬です。

名残の桜が咲く、並木の土手を隣のおばさんとギャビが歩いて行きます。

ギャビはおばさんの顔を見てニッコリ笑ったそうです。

つまり川に入りたいというアピール。

そこで、リードを外してやる。

ボク川に入る!

まだ水は冷たいだろうにコレこの通り。

元気よくハシャイでいました。

ヨメゴのおチエが職場の同僚から、この寒い土地にしかないフキをもらってきた。

アイヌのコロボックルの傘となるのはこのフキに似た葉かもしれない。

コロボックルとはアイヌ語で「フキの葉の下の人」というそうだ。

いかにも太くて固くて不味そうに見えるが、トンデモナイ!

これがナカナカの逸品なのである。

何に限らず見た目で判断してはならない。

この不細工なフキは、仔細に観察すると手に持った感触が非常にいいので、美味しいかもしれないと思わせてくれる。

皮の下から柔らかさと旨さを訴えてくるのである。

それに香りがすばらしく良い。高貴な香りがするのである。

数分茹でて水に取り、すぐ皮をむく。

太いからあっという間に楽々剥むけてしまう。孫も面白がってむく。

アク抜きの必要なんか全くないから、調理も簡単だ。

家庭料理には手間をかけない、というのが私の信条だ。

それでも煮干しと鰹節で濃いダシをとり、醤油、酒、みりんでしっかり汁気がないように炊く。

柔らかいのですぐ味が沁みて美味しい。

全部調理して、隣のおばさんも含めた5人でバクバク食べた。

我々田舎者は、野菜を馬並みに大量に食べるのである。

ほんの少ししか残らなかった。

原村にもようやく春が

5 月 8th, 2017

12月に買ったシクラメンであるが、そろそろ終わりである。

隣のおばさんが持って行って来年もまた咲かせてみせるという。

原村はシクラメンの栽培が盛んな所で、しかもその花が長もちする。

明治時代にヨーロッパから入ってきたシクラメンは、最初その根の形状から「馬糞草」とか「豚の饅頭」などとあまり美しくない名前をつけられていた。

それを知ってか知らずか華族の九条武子氏が「これはかがり火のような花ですね」と言ったのを聞いた、植物学者の牧野富太郎氏が「カガリビバナ」と命名したそうである。

だいたい植物学者にはセンスのない人が多く、「ヘクソカズラ」とか「ママコノシリヌグイ」とか「ハキダメソウ」など、悪意があるとしか思えないような命名をしている。

極めつけは春先の陽だまりに真っ先に咲く、あの青く可愛らしい小花を「イヌフグリ」というものである。

口にするも憚られるような命名である。

しかしである。世の中にはそれを憂いてかどうかは分らないけれど、千葉県のある地方ではこの花のことを「ホシノヒトミ」と言うそうである。

私のように人生の終わりに近づくと、本当に価値あるものとは「自然」だけであるように思う。

もう私は高い山には登れないけれど、山の本を読みながら登山の追体験をしたり、メーテルリンクが書いた『植物の知性』とか牧野富太郎の『植物知識』といった本を読んでいると、その深い世界に引き込まれる。

ただ眺めて眼を悦ばせるだけの自然もいいけれど、そこに奥深く分け入ることができる言葉によって、自然の真髄に触れることができる喜びはまた格別のものがある。

つまり脳が喜ぶのだ。

ボクこの川眺めるだけじゃなくて、入りたいなあ。