5月11日
この美しい季節を存分に享受しようと、5月はなるべく外に出るようにしている。
昨日の婆さん4人のピクニックは楽しかったなあ。
帰りはウチで私の作った焼きたてスコーンで、アフターヌーンティーを楽しんだ。
今朝、珍しく息子が「歳をとっても心から楽しめることがあっていいね」と言ってくれた。
もっともその後で「なんだか華やかな笑い声が聞こえてきたので、そっと見に行ったら全部枯れ木だった」だと。
今日は少し曇っていたけど隣のおばさんと散歩した。
大好きな西洋ボダイジュの芽吹きがやっと始まった。
この木は秋に葉を真っ先に落としてしまうが、新芽が出るのは他の木に比べて一番遅い。
サクラソウが花盛りだった。
水芭蕉の葉もなかなかいいものだ。
ゴハンまだ?
5月10日
5月9日
肌寒い朝だった。
昼ごろから冷たい雨が降ってきた。
降る前にゴミ出しに行けばよかったと後悔した。
ギャビは雨が降っていることを知っているので、外に出たいそぶりは一切見せない。
おとなしく定位置でいい子にしている。
きのう、隣のおばさんとヨメゴのおチエが、その辺でウコギという木の芽を摘んできた。
私がこれを茹でて細かく刻み、塩と醤油で薄く味をつける。
炊き立てのご飯に炒りごまとともにこれを混ぜ、「ウコギ飯」の出来上がり。
香りがよく、歯応えもあり一度食べたら病みつきになる。
豚肉とフキと筍の炒め煮、山ミツバのおひたしも作った。
これが夕食。
あっという間に全部平らげた。
ウコギ飯も空っぽ。
次は孫も連れて4人でワラビでも摘んでくるか。
息子以外の女4人はたくましい山女となった。
5月8日
待ちに待った5月の美しいときがやってきた。
一人で家の周りをうろついてみる。
いつ植えたものか定かではないガマズミが良い香りを放っている。
ひと枝折って胸のポケットに挿し、歩きながら存分にその香りを楽しむ。
見上げればクラブアップルの花と桂の若葉が重なり合って、ステキな空をつくっている。
足元には、はるか昔に植えたチューリップが思い出したように咲いていて、私の記憶を過去へと誘ってくれる。
あの頃は庭作りにも情熱を傾けていたなあ、それが今はどうだ、最低限のことしかやっていないなあ、と反省する。
日当たりの良い庭の片隅に、自然に生えてきた濃い紫色のスミレ。
山路来て何やらゆかしすみれ草
芭蕉の句だ。
明るい陽だまりに咲く「すみれぐさ」、さぞかしこの花に芭蕉も旅の疲れを癒やされたことであろう。
中学生のとき、「すみれぐさ」ではなく「すみれそう」の方がいいのではないかと言った、生意気で勉強のできる男子生徒と論争したことが思い出された。
「すみれぐさ」でなくてはならない。芭蕉の謂いもそれだ。
しゃがみこんでしばらく見入って(魅入って)いた。
立ち上がろうとしたら足が痺れていて後ろにひっくり返った。
八ヶ岳にはスミレが多く、当方の庭にも5種類のスミレが咲いている。
だから5月になるとこの花に会えるので嬉しい。
戻ると「どこへ行っていたの?」という顔をしてギャビが不満そうだった。
5月7日
今日もいい日だった。
ピアノを弾いて夏みかんのママレードを作って、孫娘と一緒に肉うどんの昼食を摂る。
そして家族4人で楽しく夕食。
こういった小市民的な生活がどれほど幸せなことか。
世界の紛争地帯の庶民の不条理を思うとたまらなくなってくる。
感謝して生きよう。
このような平和がずっと続くという保証は決してない。
そのことは常に考えていよう。
このごろギャビの寝ている時間が増えてきた。
庭に出してくれという要求もあまりない。
老いてきたのかなあ。
寂しいけど仕方がない。
おやつを持って庭で遊んでやった。
長生きしてね。
北ヨーロッパ原産の草花プルモナリア。
大好きな花である。
数年前わざわざ北海道から取り寄せた。
寒いところで美しく咲く花だ。
なんとなく高山植物のようではないか。