5月23日
緑の美しい5月だけど今日は雨。寒い。
先日松本の男性の友人が、師事しているフルートの先生の演奏会に招いてくれた。
いつもつるんでいる女友達二人でいそいそと出かけた。
これだけ録音技術が進んでも、やっぱり生演奏はいいなあと、しみじみ思った。
プログラムの終盤近く、私の大好きなモーツァルトの「5月の歌」(和訳)が演奏された。
終わって友人宅へ向かうクルマの中で、女友達が「よかったねえ、5月の歌」と言ったのでごく自然に歌い出した。
楽しや五月 草木は萌え
小川の岸に すみれにおう
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろ歩き
うれしや五月 光は映え
若葉の森に 小鳥うたう
そよ風わたる こかげ行けば
心もすずし そぞろ歩き
(詞:青柳善吾)
音楽の授業で習って60年以上も経っているのに、3人とも歌詞を忘れていなかった。ぴたりと合って終わった。
その気持ちよかったこと!
すると男性の友人が「僕この曲大好きなんだよね」と言ってドイツ語で歌ってくれた。
言葉の意味はわからなかったけど、日本語の歌詞よりはるかに美しかった。
音楽はやっぱり言葉を超えたものだと思った。
言葉が音楽になっているのである。
家に帰って早速パソコンを開き、ドイツ語で歌われているものを探した。
すぐに私の大好きな「エリザベート・シュヴァルツコップ」のものが出てきた。
マリア・カラスに匹敵するドイツのソプラノ歌手である。
ドイツ語で聴くと、もっとリズムにメリハリがあり、モーツァルトの軽やかさが迫ってくる。
原題は「5月の歌」ではなく『春への憧れ』であった。
五月よ来い、早く来い!
木々を再び緑にし、
川辺にかわいい
スミレを咲かせて!
あの花にまた会えるのは
どんなに嬉しいことか、
ああ、楽しい五月よ、
早く野山を歩きたい!
ああ、早くもっと暖かくなり
外が緑に包まれたらいいのに。
五月よ来い、早く来い!
子どもたちは待ち焦がれてる。
五月よ早く来て真っ先に
スミレをたくさん咲かせてほしい!
それから小夜鳴き鳥と
きれいなカッコーも連れて来て!
ドイツの春はここと同じ5月なんだと納得した。
今年の5月は思い出深いものになりそうだ。
5月22日
5月17日
5月15日は私の誕生日だった。もうトシを重ねるのはウンザリであるが仕方がない。
2年前74歳の時に書いた「リビングウィル」に“右に同じ”と書き加え、今年の年月日を入れた。
無駄な延命はいらない。
その日はケーキも花もご馳走もいらない、普段通りに過ごすつもりであった。
ところがヨメゴのおチエから花を贈られ、友人からはケーキが届けられ、古いお客さんからはバースデイカードが届いた。
171センチの孫娘が「おばあちゃんおめでとう」とハグしてくれた。
私はありがたくそれらを頂戴した。
生きているうちに忘れられなくてよかった。
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アポリネールの有名な詩に『鎮静剤』という作品がある。
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。
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人は生きてきたように死ぬという。
死は思いがけなく起こるものであってほしいと願うが、それも生き方によるのだろうか。
よく働いた日には深い眠りが得られるように、間断なく努力してきた人には安らかな死が訪れるということだろうか。
困ったなあ、そこからは完全に外れている私である。
私はいつだって目的地など定めないで生きてきた。
つまりそのひぐらし。
歩き方が目的地を作り出すようなものであった。
いつ死んでもいいようにしておこう。
お客さんの準備でてんてこまいし、やっと休む段になり「疲れた」と呟いたら、息子が「大丈夫、もうすぐ終わるよ。長い眠りが待っているからね」と言った。
はじめはカッとなったが、確かにその通りだと納得した。
死ぬまで働けってことね。
今日も寝てばかり。
5月14日
5月12日
先日イエラちゃんがまたきてくれました。
穏やかで気持ちの優しいラブラドールです。
ママはアーティスト。
宿泊カードの余白にステキな絵を描いてくれました。
家中みんなでキャアキャア言いながら喜びました。
表現手段を持っている人は如何なる時でも孤独ではありません。
イエラちゃんの純な眼を見ていると“悪いこと”なんてとてもできないなあ、と人間の邪な気持ちが糺されていくように思いました。
今年もまたばあさん3人で青もみじの丘にピクニックでした。
ひとり欠けて(といっても都合が悪くなっただけ)いましたが、お弁当を食べ、楽しくおしゃべりして過ごしました。
一番若いばあさん(?)が抹茶を点ててくれました。
抹茶の緑ともみじの緑、それは清々しく美しいものでした。
豊かな老後です。