東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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もう4月28日

4 月 28th, 2021

昨日は園芸に勤しんだ。

やっと鉢にヴィオラを植える段階になったのだ。

4月は荒れた庭を整えることに時間を費やした。

枯れ草枯れ枝を除き、徒長した枝を切り取りそれらを燃やす。

なにせ老人ひとりでやるのだから、1日の作業量を決め無理のない範囲で行う。

こうやって無駄に広い地面を整え、施肥という作業までを延々とやる。

狭い庭を嘆く人の気が知れない。その狭さが美しい状態を保つのにちょうどいいのに。

重さ30キロの肥料を何袋も買って、クルマに積み込む作業だって一苦労である。

それらは3月中には終わっていないといけないのだが、怠け者はそれを1ヶ月遅れでする。

明日できるものは明日でいい。

別荘地の、色とりどりの薔薇のある庭に住む有閑マダムが言っていた。

「お庭が汚いおうちはお部屋も汚いのよ。だってお庭はお部屋の延長ですもの」

ハハーっと痛みいったお言葉であった。ごもっともでございます。

有閑マダムの庭にはいつも庭師さんと雑草取りの“シルバーさん”が入っている。(シルバーさんとはシルバー人材センターに登録している老人のこと)

この作業を詰めてやったわけではないけれど、始めてから1ヶ月弱。

根気強さはお金で解決できるもの以外のあらゆるものに打ち勝つのね。

5月からは草刈り作業が控えているなあ。

「だからあ〜ドッグランだけでいいって言ってるだろ」

箕輪村のもみじ湖

4 月 26th, 2021

天気が良く、ヨメゴのおチエも休みだし、コロナ自粛明けの隣のおばさんも誘ってどこかに行こうということになった。

こういう時バイクであちこち走っている息子が役に立つ。

今日の行き先はここから40分くらいの箕輪村のもみじ湖に決定。

ダム湖であるが、辺り一面モミジの林に囲まれている。

モミジの緑のトンネルもあった。

紅葉したモミジもいいが新緑のモミジもそれは美しい。

観光名所にはなっていないが、秋には地元の人の紅葉狩りで賑わうことだろう。

でも今日は対向車にも合わず、誰もいない私たちだけの広場だった。

少し早いお昼ご飯をギャビも一緒に食べる。

太りそうだと言いながらドーナツも食べる。

私たちは食後にコーヒーを飲み、ギャビは水をたっぷり。

目の前はモミジの新緑と山桜の淡いピンク。

夢のように美しい風景だった。

「さあ帰るよ」とギャビに声をかけたら逃げ出した。

私たちがクルマに向かってどんどん歩いて行ってもギャビは動かない。

「まだ遊びたい!」と全身で抵抗する。

息子とおチエが連れ戻しに行ってようやくクルマに乗った。

名残惜しいけど、青い空とうっすらと赤い芽吹き直前の樹木を眼に焼き付けて「もみじ湖」を後にした。

私たちにはクルマで1時間以内で行けるいいところがたくさんあって、信州に住む幸せを思う。

息子にはさらなる開拓をしてもらわなくては。

3月24日

4 月 24th, 2021

コロナ自主隔離を終えた隣のおばさんと別荘地を散歩した。

やっと人と話せるようになった隣のおばさんは、片時も喋るのをやめなかった。

ことばが溢れ出るような勢いだった。

でも、あれだけ好きだった花の名前、木の名前をずいぶん忘れていてびっくりした。

人は人と話していないと記憶力まで退化するらしい。

今夜は夕食に招んで大いにしゃべらせてあげよう!

それにしても罪なコロナウィルス。

人にとって最大の喜びである会食の機会を奪ってしまうなんて。

二人で立ち止まって話していたせいか、ギャビは大あくびをしていた。

レンギョウとその根本の水仙。

このあたりでは春を告げる花である。

我が家の山桜はまだまだ。

4月22日

4 月 22nd, 2021

午後4時前、ギャビと長い昼寝から覚めて散歩。

久しぶりに自然文化園に行き、さらにその奥の林に入ってみる。

寝ぼけているせいか異次元の世界に迷い込んだような気がした。

しばらく歩いていたら枯葉の間から何やら花が。

まるで極楽みたいだなあ、ボンヤリした頭で近づいてみると、カタクリが一面に咲いていた。

今日は微風が吹き渡っていたので、この可憐な花の揺れる様はまるで夢のようだった。

東北地方ではこの片栗を、葉も花も一緒に茹でて食べるそうだ。

モッタイナイと思う反面、どんな味がするのだろうと私の興味は尽きない。

でも花を愛でる気持ちの方が強いので、食べる気にはならないなあ。

自然から受ける感動は年齢とともにますます大きくなる。

私たちが成長して行くのは、この世界の数しれぬほどの影響のおかげである。

中でもnatureとしての自然から受ける影響は人に深みを与える。

若い時は花など全く興味のなかった男性が、老いて老妻と一緒に花を愛でながら歩いている姿は男でも美しい。

花の名前を知ることは簡単だ。

スマートフォンで写した植物の情報を得るためのアプリケーションを入れておけばいいのだから。

もはや植物図鑑で調べる必要などない。

昔はよかったなんて決して思わない。

老人になっても趣味の範囲は広がるばかりである。

4月20日

4 月 20th, 2021

晴れ渡って暖かく穏やかな日だった。

今日は4月恒例の、ペンション周辺の掃除の日である。

朝9時に集まってゴミ袋を手に、それぞれ決められた範囲を回る。

今年はコロナ禍でお客さんがいないせいか驚くほどゴミが少なかった。

例年なら捨てられたペットボトルや空き缶で袋はすぐいっぱいになるのに、拍子抜けするほど少なかった。

そのかわり、いつもなら決してないゴミ、つまりマスクが数枚捨てられてあった。

すぐ終わってしまったのであとは井戸端会議である。

みんな家族以外とは話していないのでよく喋る。

でも誰しもきちんとマスクをつけている。

世間に疎い私はこの時とばかりに情報を入手する。

どこでPCR検査をしてくれるかとか、ワクチン接種のキャンセルが出ているから今なら予約できそうだとか、今年の保健所の査察は延期らしいとか、どこそこの誰かが亡くなったとか、誰それは500万で買った土地を2500万で売りに出しているとか、色々聞かせてもらえる。

それらに対する周囲の反応も私には大いに参考になる。

「人は一人では生きられない」ということは決して抽象的な物言いではなく、このような付き合いの中にも大いにあるのである。

先日友人の訃報を知らせてくれた高校時代の男友達とは、あれ以来メル友になっている。

今日のメールはバッハについてひとくさり。

そして自分が“神に召されたら”(地獄に堕ちそうなヤツだけど。それどころか無神論者ではないか!)バッハのCDとプレイヤーと共にレコードも全て私にくれるという。

彼は私の従姉妹であった妻に先立たれ今や一人暮らしの身、死んでもすぐには発見されない可能性が高い。

メールが途絶えたらすぐ駆けつけよう。

まるで私の方が後になるみたいなことを言っているけど、どうなることやら。

ゲームに夢中なネエチャンが、それでも片手でギャビを撫でている。

平和な一コマ。