東京から2時間、名古屋から2時間半。八ヶ岳中央高原 原村へようこそ!

ペンション グリーングラスでのんびりとした休日はいかがですか?
森の散歩道や、渓流、白樺の林をぬけて薫る高原の風。
あふれる自然に人も犬もきっとリフレッシュできますよ。
長野県諏訪郡原村 中央道諏訪南ICより自動車で約10分
首都圏から一番近い”村”である原村のペンションです。
長野県諏訪郡原村17217-1682






我が家の犬や猫、お客さんの犬、八ヶ岳の自然などについての日記を綴っています。
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きのうは大雪

3 月 30th, 2020

きのうは春の大雪だった。

春の大雪で思い出すのは、かつての子供の卒業式や入学式のことである。

不安定な気候のこの時期、思い出すだけで子供の高校卒業までに何回かこの春の大雪に遭っている。

せっかくめかしこんでも、肝心の足許が長靴ではサマにならないというので、わざわざハイヒールを持って学校に行ったっけ。

クルマから入口までのたった10mくらいの距離だったのに。

私ってけっこう見栄っ張りだったのね。

トシをとるとそんなことからは全部解放されて、若い頃の愚かな行為を赤面しながら回想できる。

タンスの奥に眠っていた毛皮のコートもそっと捨てた。

今の私はユニクロファッションだけど、犬と自分のために靴だけはいいモノを履いている。

雪と雨と濡れた草むらに対応できるよう、ゴアテックス素材であることは必須である。

さて、きょうも思い出とともに不要品の処分をするか。

「いづくへか帰る日近きここちしてこの世のもののなつかしきころ」

与謝野晶子の歌である。こんな心境でいづこへか帰っていけたらいいなあ。

雨の日

3 月 28th, 2020

座禅草の不気味な姿。

仏像の光背に似た花の苞から、僧侶が座禅を組む姿がイメージされ、この名前が付いた。

別名達磨草とも。

小雨が降るきょうは、ギャビの排泄のためだけの散歩をする。

ギャビもよくしたもので両方を済ますとすぐ帰りたがる。

彼は濡れるのもイヤだけど、レインコートも嫌い。

だから用を済ますとサッサと帰り、私にバスタオルで顔、頭、体を拭いてもらうのが無上の喜びであるようだ。

お礼に私の耳をチュッと舐めてくれる。

彼の親愛の情の示し方である。

雨の日の楽しみはピアノに限る。

モーツアルトのピアノソナタK545の二楽章を去年からまだやっている。

気ままに思い出したように練習しているので、たった4ページの曲がようやく最後のところにきたけれど、まだまだ。

楽譜を見ながら、全てをブラインドタッチで弾いている。

私のピアノは人にも犬にも猫にも聴かせられない。

みんな大いなる迷惑を蒙ること必定であるからだ。

ピアノは、すべて自分だけの自己満足の世界である。

だから長く続いているのだ。

その割には場所をとっているなあ、これも迷惑なハナシだ。

以前しばらくピアノを弾かない時期があった。

そうしたらピアノ教室をやっている友人に「最近弾いてないでしょ!ピアノが死んでる」と喝破された。

埃もなく、ピアノの上に不用なものなど何ひとつ置いていなかったのに、鋭い人である。

このごろの私の音楽の楽しみ方は、思い立ったらすぐ、演奏の動画を見ながらパソコンで聴くことである。

今はスマートフォンで聴く人がほとんどだという。

CDが売れないわけである。

人形はページ押さえ。

重さがちょうどいいのだ。

3月26日

3 月 26th, 2020

都会はコロナウィルス騒ぎで大変なようだけど、夜9時過ぎの渋谷の映像を見ていると、人々はまったく危機感を感じていないようだ。

どうして最悪の事態を想定しないのか不思議でならない。

私など農協に買い物に行くだけでも充分すぎるほど気をつけているし、出先では決してトイレを使わない。

帰ったら何をするより先に入念な手洗いである。

いくらひなびた田舎であっても、結構人の流入があるから、念には念を入れるに限る。

引きこもりはちっとも苦ではないから今は楽しい。

原村の3月は冬でもないし、春でもない。

一面の枯れ草の中からほんの少し緑がのぞく。

裸の木々にはところどころ枯葉がくっついている。

建物の北側にはまだ雪が少し残っている。

以前はこの中途半端さ、きたなさが本当にイヤだったが、トシを重ねた今はそれが少しもイヤではない。

つまりどっち付かずの中途半端な状態にこそ、真実も美もあるというもの。

それを探求し解釈できるのは年の功、いやいや積み重ねてきた知性と感性というものさ。

見よ、ちょっぴり頭をのぞかせたフキノトウの美しい黄緑を。

一方消えゆかんとしているわずかばかりの汚れた雪。

雪は上からではなく下から溶けてゆくのだ。

ずいぶん前にこぼした焼き鳥のタレが、そのまま表面に残っているのが何よりの証拠。

残った雪のそばにしゃがんで、“さようなら”とゆく冬に別れを告げる。

そして「フキノトウさん、こんにちわ」と挨拶する。

でも、おまえは今晩刻まれて、味噌汁に浮かべられるのだよ。

こういったバカなことを流れる想念のままに、サンダルをつっかけて庭をブラブラする楽しみよ。

時々枯れた何かの蔓に足をとられて、サンダルが脱げるのも結構!

ボクは寝てるよ。

3月24日火曜日

3 月 24th, 2020

外は花粉が舞っているので、犬の散歩以外は出ないことにしている。

アトピーが治まってきたと思ったら、花粉症が出てきた。

くしゃみ、鼻水、眼のかゆみがあるけどガマンはできる。

でもそろそろ食料品も尽きてきたので、明日は買い物に行かなくてはならない。

なるべく県外から来ている人の多いスーパーマーケットは避けて、地元の農協あたりに行ってみるか。

シャレたものはないけど、野菜と肉、魚、海草類、芋類、納豆、豆腐、厚揚げがあれば充分。

森の中の教会も集会や礼拝はとりやめたようだ。

それでも教会は開いていて、信者であろうと無宗教者であろうと、誰にでも開かれているんだなあ、と感心する。

そっと扉を開けて中に入ってみたら、入口に消毒薬とマスクの箱が用意されてあった。

このマスク不足のときに、どこで手に入れたのだろう。

誰かの寄付かしら?

この際お祈りでもしていこうか、などとよからぬことを考えたが、多少は残っている私の良心がそれを押しとどめた。

真摯に祈る人にしかマスクも消毒薬も相応しくない。

どれ、帰ってパウロの「ローマ人への手紙」でも読んでみるか。

テスは隣のおばさんのネコだけど、最近ウチにいる時間の方が多い。

夜は必ずこちら泊まりで、翌日は自分の家に帰るが、3時過ぎには戻ってきてコタツで丸くなっている。

いくら20歳だといっても、これではまるで人間のおばあちゃんの、デイサービスみたいなものではないか。

向こうの家でお昼ご飯を食べて、おやつのチャオチュールをもらい、おばさんの腕の中で昼寝して、「さあ帰るか」とこちらに来る。

両方の家で腹一杯食べているから太ってきた。

20歳の老猫でも太るんだなあ、と感心すると同時にテスの生命力に驚嘆する。

食べ終わるとこちらを「ワルイ?」と言いたげにチラッと見て、椅子の上にヨッコラショと飛び乗る。

私もこうありたい。

オトナになったフィル君

3 月 23rd, 2020

まだ11ヶ月の少年だったフィル君が、1年半振りですっかりオトナになって来てくれました。

下の写真が11ヶ月の頃。

とっても可愛らしいけど、まだまだ自信のない顔をしています。

それが今や堂々のシュナウザーです。

少年のころから賢かったのですが、また更に賢くなっていました。

パパの腕の中にどっしりと収まった姿が自信満々で、見ている私たちにも安心感を与えてくれます。

幸せいっぱいのフィル君です。

フィル君の名前の由来は、音楽好きのパパがフィルハーモニーから採ったのだそうです。

「愛する」を意味するフィル(phil)と調和(harmony)とを組み合わせた言葉で、そのまま「調和を愛する」を表しているそうです。

ギリシア語由来ですね。

きっと家族を調和させていくような、ステキな名前をつけてもらったね。

フィル君の飼い主さんご夫妻が、このアルストロメリアを気に入って下さいました。

そして栽培農家に行って買って下さったのです。

さっそく隣のおばさんに報告したら、とても喜んでいました。

ありがとうございます!