新年おめでとうございます。
何がめでたいんだか。世界で起きているこの惨状を見たら、とてもめでたいなんて言えないなあ。ノンポリで山暮らし、社会の周縁部にいる78歳の老人の私でも世界を憂いているのである。しかしどうにもならないこの歯痒さ。せめて、どうしてこのような世界になってしまったのかを私には知る義務がある、ということで近代史の勉強をボツボツ始めている。猫を抱いてヌクヌクしているばっかりが老人ではないからね。
大晦日も元旦もそれらしいことは何もしなかった。お客さんのいない年末年始をただひたすら怠けて過ごした。46年ぶりのことである。後ろめたさなんて全く感じないでこのぐうたらを確信犯的に楽しんだ。大晦日は"red and white”なんか観ないから、Eテレでやっていた『小沢征爾の遺したもの』を見て過ごした。小澤の功績は次世代の育成に尽力したことである。自分の持てるもの全てをこれに注ぎ込んだ。彼の主催する音楽塾には特にアジアの若い音楽家を招いて指導していたそうである。それも何もかも無料で。こうして育っていった人の中に中国の指揮者俞潞(ユー・ル―)さんがいる。小澤に19歳から師事し今は世界的指揮者になったそうである。
やっぱり小澤征爾はすごい人だ。まだ私が19歳のころ若杉弘の指揮する新日本フィルの演奏会に行ったことがある。それもタダ券で。前座で小澤も指揮するということを聞いていた。その頃の小澤はモデルの入江美樹と浮き名を流しているチャラい男くらいの認識しかなかったのであるが、指揮が始まった途端私は座り直した。その時の小澤の後ろ姿の生命感あふれる美しい指揮ぶりに圧倒されたのである。オーラに満ちたとはあのことだったと今思い返す。彼は若い頃からラグビーをやっていたそうである。あの身体的美しさはラグビーと共通するエネルギーであったのだ。それにしても「あらゆる芸術は音楽に嫉妬する」と言ったのは哲学者のショーペンハウアー。でも文学者も負けてはいない。小澤は20代のときにパリで武者修行中に井上靖と出会い、賞も取ったので帰国して活動するつもりだと告げたところ、井上から「小説は翻訳という言葉の壁があり、真の全体は伝わらない。音楽はお客さんにその場でダイレクトにわかってもらえる。絶対こっち(海外)でやるべきだ」と説かれたそうである。この励ましにより、小澤は思いとどまり、その後カラヤンやバーンスタインに師事し、名だたるオーケストラの音楽監督に就任するなど、世界のオザワとなった。 私は小澤の指揮する音楽に触れたことが今も忘れられない。感動が体の奥に残っているのである。私見ではこの時代、世界に誇れる日本人は中村哲、小澤征爾、大江健三郎かな。国民栄誉賞なんてこの3人に上げて欲しかったなあ。生きているうちに。
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