12月と1月は営業を休んだ。開業以来初めてのことだった。というわけでクリスマスも大晦日も元旦も全てのイヴェントは中止した。私はひたすら部屋に引きこもり、”冬眠”を満喫した。楽しかったなあ。
1月も半ばを過ぎたある日、息子が「クリスマスをやらなかったことなんて、生まれて初めてだった」とボソッと言った。そこで私が「やりたけりゃあ自分でやればいいじゃん!!なんでもかんでも私にやらせないでよ!」とキレた。
でもすぐ後で反省した。息子にとってはクリスマスは特別なのだ。離婚した夫の両親はプロテスタントのクリスチャンだった。だからクリスマスは特別だったのだ。12月24日の夜、子供たち夫婦と孫たちは義理の両親の家に集まり、クリスマスを祝うことになっていた。ご馳走やケーキの前に義父が聖書マタイ伝の中の一章、「主の祈り」を朗読する。立派な、そして大好きな義父だった。私は離婚する時この義父には決して会わなかった。会えば必ず説得されてしまうことがわかっていたからだ。
息子にとって父方の祖父母の家でのクリスマスの経験は、忘れられないものだったに違いない。ここに住んでからも私はクリスマスイヴェントは続けてきた。孫にも受け継いでもらいたかったからだ。しかし孫は「クリスマスも正月もいらないけどお年玉だけは欲しい」というドライな高校生になっている。でも来年からは復活させてもいいかな、と思っている。
ラトゥール作『大工の聖ヨセフ』。右の蝋燭を持っている幼い少年はイエス・キリストである。ドライな高校生の孫娘にこの絵を見せたら食い入るように見つめていた。



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